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2006年03月30日 医の倫理が問われている |
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射水市民病院(富山県)で人工呼吸器を外されて、患者7人が死亡した。
外科部長は患者からも親しまれていたという。 そして、射水市民病院には、この外科部長の判断に肯定的な意見が沢山寄せられているという。
私は脳死臓器移植に反対の立場である。それは、脳死の状態の人は、まだ生きているにも関わらず、臓器の提供者ドナーとなり、臓器をもらう人レシピエントとの「いのち」が天秤にかけられているからだ。消極的な安楽死には必ずしも否定的ではない。延命することだけに価値は置きたくないからだ。
射水市民病院の件は、回復の見込みがない人の積極的な安楽死を認めるか否かという問題になる。呼吸器をはずす行為はやはり積極的な処置とみなされるだろう。そして、積極的な安楽死をみとめるにはそれだけの手続きが必要である。この外科部長もそれは知っていたようだ。
平成3年の東海大学の安楽死事件で、横浜地裁で示された条件は次の4つであった。
1.患者が絶えがたい肉体的苦痛に苦しんでいること
2.患者は死が避けられず、その死期が迫っていること
3.患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替的手段がないこと
4.生命の短縮を承諾する患者の明示の意思があること
このような、法律の縛りを無視して、安楽死が医師や医療者のチームの独断で行われてはならない。
射水市民病院に寄せられる肯定的な意見は、自分が同じ立場であれば、そうして欲しいという願いがこめられているのだろう。しかし、私は、少なくとも患者や患者家族の意志が明らかにされていることが前提であるべきだと考える。
本人や家族の意志があったとしても、私は呼吸器をはずすという積極的な行為はためらうし、自分で行いたくはない。
この外科部長はどのような気持ちで呼吸器を外したのだろうか?
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投稿者 katos : 2006年03月30日 11:39
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