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(消化器内科)
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2005年09月01日 「患者の幻想、医師のごまかし」からの脱却を

「患者は何でも知っている」(中山書店)は、英国のエビデンス・ベースド・メディスンEBMの流れを作り、エビデンスを集めるコクラン共同計画にも加わっていたミュア・グレイJA氏の著作である。これからの患者と医師関係や情報提供あるいは情報収集のあり方が書かれており、大変興味深い。

  第1章には医療に訪れている大きな変化が、第2章には医師の仕事の内容が、第3章にはかしこい(resourceful)患者になるための技術と情報源、第4章には21世紀の医療のあり方が書かれている。このサイトと共通する医療観をもち大変興味深い内容である。

 第4章第4節に「意思決定の共有と患者中心のケア」と題する記事で、英国の医師会雑誌BMJからの論文が引用されている。BMJの記事は「なぜ医師はこれほど不幸なのか」という刺激的なタイトルがつけられ、その問題が解説されている。医師はますます仕事量が多くなり、要求が高くなっているが、そのことが支援されていないことを述べ、その根が奥深いこと、そして患者と医師の偽りの契約のせいではないかと考察し、新しい関係性の構築を唱えている。

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(Richard Smith Why are doctors so unhappy? BMJ 322;1073、2001)

医師と患者: 偽りの契約の書き直し

患者の見方

1. 現代医学では驚くべきことが可能である。私の問題の多くを解決できる。
2. 医師は私の中身を見通すことができて、どこが悪いのかも知っている。
3. 医師は知識として必要なことは全てを備えている。
4. 医師は、たとえ社会的な問題であっても、私の問題を解決できる。
5. だからこそ、私たちは医師に高い地位を与え、高給を払っているのだ。

医師の見方

1. 現代医学には限界がある
2. しかも、それは危険な面がある。
3. 私たちは全ての問題が解決できるわけではない。とくに社会的問題は難しい。
4. 私は全てを知っているわけではない。多くのことがどれだけ難しいのかは知っている。
5. 実は、医療により得られる益と害との差はほんの少しである。
6. しかし、上記のことは私が患者や地位を失わないためにも、黙って隠しておいたほうがよい。

新しい医師・患者関係

1. 医師と患者は次のことを知識として理解し共有している。
2. 死、病い、痛みは人生の中の一部分である。
3. 医療には限界があり、とくに社会的な問題は解決は困難である。そして、危険でもある。
4. 医師は全てのことを知っているわけではない。医師は治療の決定や心理的な支援を行うことが求められる。
5. 私たち患者と医師は、双方がこのような共通の認識の下に同伴する。
6. 患者は医師に自分の問題を丸投げすることはできない。
7. 医師は自分たちの限界に対してオープン(開示的)であるべきである。
8. 政治家は国民に過剰な約束をすることは慎むべきであり、もっと現実に眼を向けるべきだ。

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わが国でも、医師・患者の双方がこのような共通の認識を持つことを求められているのではないだろうか。そのためには、医師と患者の双方へのはたらきかけが必要とされる。そのような役割をこのメリットが果たすことができればうれしいと思う。

投稿者 katos : 2005年09月01日 14:50
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コメント

私は、主治医が誠意をもって考えて下さった治療であれば、
たとえ、良い成果がでなくても「ダメだったね」で終わってもいいと思ってます。
そんな先生はきっとその結果を無駄にすることなく、
今後も、私以外の方にも、きっと役立てて下さると信じられるから。
私は主治医とそんな関係でいたいです。
本当に必要だと考えられる治療であれば、
患者が治療に踏み切れないとしたら、
どうして踏み切れないのかをとことん話し合って
納得させて欲しいなあと思っています。
慢性肝炎のように完治が無理な病気をもつ患者に対して
どんな思いで治療方針を考えて下さるものなのでしょう。
長生きさせる事だけが治療ではないですよね。
私にとってはその思いが一番大事です。
あれっ、おかしなコメントになってしまったかも・・いつもすみません。

投稿者 くまさんさん : 2005年09月04日 03:26

肝臓病教室は、治せる療法があればそれを伝える。もし完治が不可能ならば、病気を抱えながらも積極的に生きられることを伝えることを目標に活動を行っています。 そして、そのような活動に興味を示してくれる医療機関も増えています。これが、一つの潮流になればと考えています。

投稿者 加藤眞三さん : 2005年09月04日 14:15

これからの時代の患者として自分はどうあればいいのか、今回C型肝炎の治療を始めていろいろと考えさせられています。
私の場合、治療の継続をどうするか決断しなければならない状況になって、インフォームドコンセントの難しさを思っています。
いろいろな情報を教えてもらって、自分でどうするのか判断しようとするのですが、しかしいざその状況に身を置いてみると、頭で理性的に考えることと、感情とが別々になってしまいます。
説明を求めようとする一方で、知るのが怖かったり、ということもありました。
世間では担当医との闘いのように言われていますが、わたしには、自分自身との闘いでした。
治るという希望を大きくもって治療を始めたので、治らない可能性が大きくなったということを受け入れるのに時間がかかりました。
最後には、担当医は、わたしの気持ちが固まるのをゆっくりと待ってくれているのだと思えるようになりましたが、こういう状況に慣れていないので、気持ちが落ち着くまでは結構つらかったです。先生が決めてくれたらいいのになと思ったこともありました。
冷静になって話しを進めるのは、患者自身には少し大変なことでした。今度またこういう状況になったら(もうなりたくはありませんが)もう少しうまくやれるかなと思ったりしていますが。慣れていないということは、大変なことです。
でも、どうしたいかを訊いて貰って、自分で考えられたことはいい経験になったと思います。突き詰めれば、自分の死生観のようなものが問われているのではないかと感じます。
今まで自分のしてきた仕事を振り返れば、他人に(それが自分の主治医でも)あまりに多くのことは求めにくいように思います。どんな仕事でも、完全ということはありえないし、そもそも、人生はそんなに自分の思い通りにいくものでもないのだろうし。
一山超えた感のある今は、こんなふうに思っています。

投稿者 momoさん : 2005年09月04日 14:51

先生、こんにちは。
積極的に生きられる事を伝えるって、
記事の中の心理的支援って部分でもありますよね。
一人一人性格の違う患者さんに対して
難しいでしょうね。でも、とてもありがたいです。
そして、やっぱり主治医との長い付き合いも大事かなって思います。
ほんの一言でもいいんです。
励ましでなくてもいいんです。
これから一生続く先生との3分がほっとできるひとこまであったらいいのになあと思います。
私たち患者もしっかり勉強しないといけませんよね。
この病気になったのも何かの縁。
妊娠時に胎児に話しかけるように、
自分に住み着いてるウイルスに話しかけながら生活してみようかな。
おとなしくなったら面白いなあ・・と今思いました。

投稿者 くまさんさん : 2005年09月05日 17:40

”「患者の幻想、医師のごまかし」からの脱却を”この感覚をわかっている人間が日本の中でどの程度存在するだろうか。医師はプロであり、我々はプロの意見を聞きに病院へ行く、と、思っている。しかし、毎日の小さな誤診を数えれば、半分は経験豊かな医師も誤診をしているのではないかと思う。一時期、著名な医師が現役を引退するとき、5割は誤診であったと語っていた。この人はとても正直な方だと思う。今、誤診をしても、死なないのは、誤診としてカウントしていないのでは?小さな誤診も謙虚に反省する医師は少ないのではないだろうか?10年前、信じられないが、身内が”盲腸炎”を”便秘”と言われ、5日後に亡くなった。この医師に免許を与えた方に疑問をいだかざるをえない。年々進歩している医学の進歩についていけない医師も多いのではないだろうか?
そこで提案。5年毎に試験を更新するか、1週間か1ヶ月の研修をおこなってはどうだろう。私は、毎日、医療と関わっているが、小さな誤診をたびたび目にする。
医療の質を上げるために、医師の生涯教育は絶対必要だと思う。

投稿者 患者Aさん : 2005年09月25日 12:31

コメントにレス付けても良いんですか?と書きながらレス付けてしまってます(笑)
患者Aさんの意見に賛成
医師の研修、重要だと思います
特に開業医の方は日々の診療に追われ、ゆっくり勉強する暇もない方も多いようですね
勤務医の方は、まだ周りの方や教授などに相談できるでしょうが、開業医の方はなかなか難しいのが現状だと思います
現に「風邪でもあそこにはかからない方がいい」なんて風評が出てしまう先生もいますし
勤務医の方も勤務実態を考えると勉強する暇もないような気はしますが
ただ実際、勉強している先生はいるわけですし、不勉強な先生には研修も必要かな、なんて思います
先生はどう思いますでしょうか?

投稿者 sasadonさん : 2005年09月28日 23:33

momoさん。 今までのように医者に全てを任せてではなく、自分で悩まれながらも治療の選択に参加されたことは大変良かったのではないかと思います。

これは結局は、自分の生き方は自分で決めるという当たり前のことをしているだけなのですが、日本ではまだまだ、あの人がこういうから、だれそれに勧められたから、他の人もやっているからという主体性のない行き方をしている人が多いのではないでしょうか。

投稿者 加藤眞三さん : 2005年09月29日 10:33

くまさん。 このサイトでは医療者は患者さんが主体であり、医療者は医療における同伴者であることを理想に掲げています。患者さんも治療によりウイルスが排除できないのであれば、それはそれとして、ウイルスとうまく付き合う気持ちを持たなければいけないのでしょうね。

投稿者 加藤眞三さん : 2005年09月29日 10:39

患者Aさん。sasadonさん。 医療者の卒業後の教育は随分前から言われていることでもあり、例えば医師会などでも生涯教育として各種の講演会をもうけて、それへの出席などを推奨しています。

5年ごとに試験をおこない免許を更新するというのは現実にはかなり難しいことであり、どのような問題をだすかが問題となります。専門分化が進んできており、医師全体をひっくるめての試験は、医学校の卒業後にはやっても仕方がないかもしれません。また、試験に過剰な期待をすることも間違いです。医師国家試験を合格しても、その時点でだめな医者は山ほどいるわけで、むしろ教育をどうするかが大切です。

一ヶ月の研修も現実問題として、その間の患者さんの
不便を考えると無理ではないかと思います。医師会や学会などでの、卒業後の教育訓練コースなどをもっと充実させることが大事なのではないかと思います。

そして、患者さんもそのような勉強をしている医師を見分けることガ大切だと思います。

投稿者 加藤眞三さん : 2005年09月29日 10:52

このテーマについて自分なりに感じたことをまとめてみました。

人間の感じる苦痛には肉体的なものと精神的なものがある。患者は肉体の苦痛だけでなく精神の苦痛も去ってほしいと望んでいる。医師に求めるものもそのことである。だからこそ病院へ行く。
しかし、現代の医学では実際に治すことのできる病気はまだ限られている。取り除けない苦痛もたくさんあるという現実。ここの時点で、患者の願いとこの世の現実はすでに食い違っている。

自分を見てくれているお医者さんが一生懸命やってくれているなと感じることができれば、結果に限らずある程度納得はいくと思う。反対に、そう感じられずに、治療の結果も悪かったとしたら、恨んでしまうこともあるかもしれない。からだの治療とこころの癒しは別の次元のことだから。そしてそれは「不成功」もあり得るから。
でもそのままでは、お互いに不幸な平行線のままだ。

実際に病気になって(というかC型肝炎が発覚して治療を始めて)思うのは、わたしはからだの治療を求めているのと同時に、心の救済を求めていたということ。
病気の治療については、まだ治療途中で結果は出てはいないけれども、期待はできない状態。(もしも治るようなことがあれば奇跡的?)もちろんつらく悲しいけれど、それはそれとして、心はかなり救われた気がしている。それにはやはり主治医の先生の存在が大きいと思う。
医師に対しては患者の心理としては、家族と同じにとまでは望まないにしても、自分のことをよく見てほしいという気持ちが働くものだ。一方、お医者さんは何十人もの患者を抱えているから、一人ひとりの患者に多くのエネルギーを注ぐことはできないと思う。もしも自分だったらそんなことはとてもできない。
でも3分診療であってさえ、心理的にそばにいてくれているように感じさせてくれたのが、今回出会った主治医だ。たぶんそれは、「気遣い」のようなものがあるかないかだと思う。あるいは持って生まれた性格なのかもしれないが。オープンでリラックスした雰囲気がわたしにはよかった。こうなると結局のところ人間同士なので、雰囲気とか相性というわけのわからないものを持ち出してしまうことになるのだが。
でも失礼ながら先生を観察する限り、努力もされていたように思う。誠実で率直な態度で接してもらえたのでこちらも心を開くことができた。

からだの治療に関しては、患者が医師の知識や技術を問うのは当然としても、こころの救いに関しては、患者と医師o方のコミュニケーション能力と感受性(?)が大事になってくるのではないでしょうか。それは診療に対する満足感にもつながってくると思います。
殺伐とした現代社会の中で、うかつに心を開いていたら、それこそ大変なことになるかもしれないけど、病気という非常事態にでもならなければ考えても見なかったことを考えています。

投稿者 momoさん : 2005年10月05日 15:07

momoさん。 「こころの救いに関しては、患者と医師双方のコミュニケーション能力と感受性(?)が大事になってくるのではないでしょうか」ということになると、その能力と感受性は教育できるものであろうかという疑問も次に持ち上がります。コミュニケーション能力はともかくとして、感受性となるとこれは生まれもったものも大きいのかもしれません。

そうなると入学時にそのような感受性を評価できるかということになります。そして、それをどのような人が行うのか? 実は医学部の入学試験には患者代表も入る方がよいのかもしれません。

投稿者 加藤眞三さん : 2005年10月08日 02:37

加藤先生、早速のご返事ありがとうございます。お忙しい先生のところへこんな駄文を寄せるのは気が引けるのですが、また今日も、先生の胸をお借りしていろいろ考えてみたいと思いますので、よろしくお願いいたします。


前回のわたしの文章は(も)稚拙で言葉が足らなかったようです。
わたしはコミュニケーション能力と感受性(sensibility)ということばを、ほとんどセットで使い、それは誰にも備わってはいるけれど、その磨かれ方は人さまざまであるもの、として考えました。医者も患者も磨かれ方がまだ足りていない、ように思います。
なので、医学部の入学の判断材料にしようとするよりも、むしろ、どのようにして磨いていくか、また磨き続けようとする動機づけをどのように設定するか、を問題にしたほうがいいのかもしれません。
質のいい医療を成立させるためには、医者と患者の両者が、努力をしていかなければならないのではないでしょうか。、努力を医師だけに求めるのでなく、患者もそうしたほうが自分の人生にとって有意義なのではないかと思っています。

ただわたしは患者歴1年で、今の自分の主治医と時々垣間見るほかの診察室の先生のことしか知りません。自分に見えている医療の現実はあまりにも少ないと思います。なので、先生がご覧になっている大勢の医師像とわたしの医師像にはズレがあるのかもしれません。わたしがもっと多くのお医者さんを知れば、先生がおっしゃるように、「入試でもっと選抜してください」ということになってしまうかもしれないのですが・・・。
一番初めの投稿にも書かせていただきましたが、お医者さんの側は毎日患者を診続けていますが、患者は患者としての経験が少ないので、どう考えていったらいいのかいろいろなことが手探り状態です。まあ、病気になったことは嫌なことなのだけど、得るものも少しあるのかな・・・などと負け惜しみ(?)で思っています。

わたしは時々、社会の住人みんなが、もっと相手を理解し自分をわかってもらう努力をしたほうがいいのではないかと思うことがあります。国家間で、立場の違う人の間で、家族間で。そして医者と患者間で。
お互いの理解などと甘いことを言ってはいられないくらい困難なことがいっぱいあるのは承知の上で、それでもなお努力はしなくてはならない、というか、せっかく生きているのだから、今、同時代に生きて存在している者同士、もう少しかかわりを深めて生きたほうが、楽しみや喜びを見つけられるのではないでしょうか。(今回病気になって、時間の長さよりも、質を考えるようになりました)
余分なことですが、現代美術とか現代詩のテーマの多くと重なるように思います。

実際問題として言うなら、とても乱暴な意見かもしれないのですが、患者は、病状や年齢にももちろんよるけれど、調べればわかることと是非話さなければならないことをもっと区別したほうがいいと思います。多くは自分の不安からいろいろ聞きたくなるので、自分のほんとうに知るべきことを整理し、優先順位をつけるとか。
5分とか3分とか言われる診察時間をフルに活用すべく頭を絞ったほうが、診察の質も上がり自分のために有意義ではないでしょうか。コミュニケーションのとり方を工夫する余地はあると思うのです。また自分から雰囲気作りをし心がけていくとか。コラボレーションです。

一方、お医者さんはつっけんどんな対応をしていたり、患者に誠意を感じさせなかったりしたら患者に選ばれなくなってしまうと思います。同じくらいの知識と技術なら、感じのいいお医者さんのほうを選びたいです。生き残りをかけて患者を獲得しようとしている病院のほうが、対応がいいような気がします。わたしの見て知っている範囲のお医者さん(同一病院)はみな「ようこそ」という感じで迎えてくれます。初めて見たときは目を疑いました。大学病院はもっと冷たいところだと思っていましたから。
でも医療機関間の競争があっても、都市と過疎地の地域間格差はでてしまいますね。これも問題。
難しい問題がからみあって、一言では言えないことばかりですね。
ほんとうに幼稚なことしか考えられなくて、すみません。こんなのはご迷惑でしょうか。

投稿者 momoさん : 2005年10月12日 14:09

momoさんの意見を読んで、改めて患者の方の勉強の大切さを感じました
風邪や外傷等の比較的短期間に治る病気は別として、慢性病といわれている疾患にかかってしまった場合、患者もその病気を勉強することにより医師との意思の疎通もうまくいくのではないでしょうか
もっともmomoさんがいっているのはその上での話とは思いますが
私も加藤先生が尊敬すると言うY先生にかかっていますが、中待合で前の患者さんの話を聞いていると(個人情報が漏れているわけですが(苦笑))まったく理解していない方も見受けられます
そんな時先生も杓子定規にならざるを得なくなってしまうかもしれません
患者がある程度勉強していれば先生も説明しやすいでしょうし、患者も理解しやすいとは思います
ただ、現実には机に向いてカルテを凝視し、人も目も見ずに話す先生もよく見受けられます
内心蹴飛ばしてやりたくなりますが、そこは病人に弱み、実行は難しいです(笑)
ただ次回から先生は変えてもらいますが
人格的に問題がある先生を見分けるのは比較的易しいかもしれません
逆に不勉強な先生を見分ける方が難しいでしょう
その先生がいい先生であるほど信頼してしまいますから
ですから患者の勉強が重要になってくると思います
ではどうやっていい先生を見つけるか?
う〜ん、加藤先生、教えてください

投稿者 sasadonさん : 2005年10月13日 02:00

momoさん。お返事が遅れてすみませんでした。確かに磨かれ方が少ないように思います。今、医学部の学生さんを対象に患者学という授業をやっていますが、学生さんは授業で初めて知るということも多いようであり、まるで乾いた砂に水がしみこんでいくようです。

 患者中心の医療を実現することを学生の時から理想とし身につけようと努力すれば、日本の医療も変わってくるのではという予感もします。それと同時に変わってもらいたいのは患者さんの医師任せの姿勢です。

sasadonnさん。一度拙著「患者の生き方」(春秋社)をお読みください。医師の見つけ方や医療機関の選び方などを詳しく書いたものです。丁度同じ時期にY先生も本を出されましたが。

投稿者 加藤眞三さん : 2005年10月30日 21:50



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詳しくは「ご利用上の注意」をご覧ください。

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