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  2006/09/17 ネット情報の危うさ

知り合いに検査を受けても病名も原因もわからず、今困っている人がいます。
原因がわからないまま病院で薬をもらうだけで、それも効かなくて困っています。
彼女はパソコンに強いので、ネットでいろいろと自分に似た症状の病気を探し回っています。
そして一時期自分は癌ではないかと信じて、その不安でどうしようもなくなっていました。
また、別の病気で、完治しない、悪化して手術が必要になるのではとも恐れていました。

ネットには様々な情報があふれています。
その中には極端な例もあります。
症状が自分に似ていると思うと、どんどんその病気ではと疑い、なにもかも自分に当てはまるような気がしてきてしまいます。
ネットは有益な情報提供の場ではありますが、それと共に、信頼できない情報も満ち溢れています。
彼女の場合、病院で色々と検査をしても病名すらわからないというのが問題なのですが、そんな不安的な状態にある時に、ネット情報だけを頼りに自己判断することの危険性も感じます。
確かな情報を得られる場がもっと増えてほしい、そしてMELITもそんな場のひとつになってほしいなと思います。

投稿者 yuko : 11:18 | コメント (2) | トラックバック (0)
  2006/09/10 病気の再発の苦しみ

最近めっきり体調が悪化しました。
自分ではほとんど治っているつもりでした。
それだけに、この悪化は痛かったです。
ついそこまで希望の光が見えていたのが、真っ暗闇になったような感じでした。
なまじ光が見えていただけに、余計に絶望的な気分になりました。
不知の病でもないと思うのですが、悪化というのは本当に嫌なものです。
今まで、何の努力をしてきたのだろうという虚しさにとらわれてしまいます。

これでぶり返したのが2回目で、両方とも、もう大丈夫だと思った頃にやってきました。
C型肝炎のペグリハ治療をようやく終えて、でも、完治しなかった人の気持ちが少しわかるような気がしてきました。
(もろんこれは当事者の方しか分からない苦しみなのではありますが。)

医療者の方々にしても、患者さんの身近な人にとっても、患者さんが回復して行く過程は嬉しいものでっしょう。
しかし、悪化する場合もある。助からない場合もある。
みんなにとって辛いことです。
かける言葉も難しいのではないでしょうか。
また良くなりますよなどと気軽に声をかけにくい。
不知の病の場合もあるのですから。

そんな時、どんな言葉に救われるのか。
私にはわかりません。
言葉というより、どんな人がなにを言ってくれるかかもしれませんけれど。

時折、ネットでも誰々さんのブログを読んで、自分も立ち直ったというような言葉を病気に関係なく目にしますが、ある人のふとした言葉で救われることもあるかもしれません。
それはネットの言葉かもしれないし、リアルの言葉かもしれないし、本の1節、詩の1節、あるいは歌、新聞の記事、いろんなものがあるでしょう。
言葉を発した方は気付かなくても、そんな風にして、再発、病気の悪化という厳しい現実を前に救われることもある。
私自身、今、そんな言葉が欲しい気持ちです。
いつか、どこかで、何かの言葉にたどり着くかもしれませんけれど。
そんな言葉がMELITからも生まれたらよいなとも思います。

投稿者 yuko : 22:49 | コメント (7) | トラックバック (0)
  2006/09/06 共に流す涙

これは私と我が友ななし君の共作の文章です。
今苦しみの中にあって、また思い出しました。
苦しいのは私だけじゃない、あなただけじゃないと。

生きるということが楽しいって思っていると、苦しいかもしれない。
道行く人が笑っている。でも自分は笑えない。
世の中の人みんなが楽しそうなのに、自分ひとりは苦しくて泣いている。
そんな気分になることがあるかもしれない。

でも、人生半ば過ぎて、私が得たことは、人生とは苦しみに満ちたものであるという
実感だ。一見明るい人の裏にどれほどの苦しみ、痛みが隠されていることか。そし
て、その苦しみ、痛みは、人それぞれで、決して他の人が肩代わりできるものではな
い。

私には、あなたの苦しみが、わからない。わかるはずがないと思っている。
ある人の苦しみを心底わかるなどというのは傲慢以外の何物でもない、と思う。
他者の苦しみを心底理解することはできない、代弁することはできないと思う。

ただ、苦しみの声を聞くことはできる。
そして、互いに抱き合い、涙流し合うことはできる。
苦しみを分かち合うことはできない。
でも、苦しいのは君だけじゃない、僕だけじゃないと、互いに手を取り合う。
文字通り、手を取り合う。
そこから始まるものがある。

どん底からでも、そこから這い上がる道が開ける。
夢見るような年頃はもうとっくに過ぎたはずなのに、私は世界中の人たちが、共に手
を取り、共に泣き、そして共に笑える日が来ることを、十世紀先にでもそんな日が来
ることを夢見て止まないのである。

投稿者 yuko : 21:13 | コメント (0) | トラックバック (0)
  2006/09/05 働かざるもの喰うべからずか

病気でしんどいことのひとつに、仕事ができない、できても通常の力を発揮しにくいというのがあります。
会社員、自営業、主婦。
みんな仕事です。
子供のためにお弁当を作られないお母さんのなげきも、会社を休職しているなげきも、自営業が成り立たなくなった人のなげきも、みな同じ。
今までのように働けない。
これは辛いことです。
一家の所帯をはっているから無理して働いて余計に身体を壊す人。
就職もできない人。
家事ができない自分に悲しむ人。
働けないということは、多くの人にとって、生活と関わり、そして重いことです。
それに加えて、働かざるもの喰うべからずという世間の視線が追い討ちをかけます。
働けなくても生きて、幸せに暮らす権利は誰にもあるはずです。
ところが働いていないというだけで、非常に肩身の狭い思いをする。
そして、自分がいなければ家族がもっと楽なのにとか考えてしまう人もいます。
病気だけでしんどいのに、暮らしの負担がズンとのしかかります。
格差社会などというグロテスクな言葉が流行っていますが、多くの病気の人は「負け組」よばわり。
みんなが治療に専念して、そして生活基盤も失わないような世の中になればと思います。

でも、現実は、弱者切り捨てに走る一方です。
働けなくても人には幸せに生きる権利がある。
このことをみんな改めて認識してほしいと思います。
そもそも働くために、人間は生まれてきたのではないということを。
幸せに生きるために生まれてきたのだということを。

投稿者 yuko : 04:11 | コメント (0) | トラックバック (0)

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