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「旅なんて、何の意味もないじゃないか。」
な、何でそういう事言うのよ。
「おいしいものが食べられなかったら意味無いじゃん」
「楽しい場所じゃなかったら意味無いじゃん」
「いいお土産なかったら意味ないじゃん」
「休みなのに疲れたら意味ないじゃん」
やれやれ。
◇
去年の今頃、職場の後輩との世間話。
何の因果か、いとこの彼氏か何かの欧米人に、紅葉を見せるためにドライブしたんです。
正直な奴らしくて、「なんで枯れた葉っぱを見に行かないといけないのか」と狭い車の中で文句を言ってて、黙って座って外見てろとつくづく思ったとのこと。
それなのに、現地に着いたとたん、欧米人の彼は、とたんに感激して、「すばらしい」「よかった」なんていい始めたらしいです。やれやれ。
それを聞いて、なんか居ても立ってもいられなくなってしまって、欧米人の彼を魅了した紅葉を、私は日本人の癖にまだ見に行っていません、とね。もう11月も終わろうとしているのにですよ。
急いで岩国錦帯橋近くの公園に出かけました、近くでその年最後の紅葉が見られるところらしかったので。

ちょうど、私の血液からC型肝炎ウィルスが見つかって、インターフェロン治療を決断するちょっと前、ちょっと心がすれていたとき、ちょっと冷たい空気と美しいこの「アカ」が、どれだけ私を癒してくれたか。
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「あのねぇ、お前みたいな奴に、改めて旅に出ろって言われてもね、いけるんだったらいきますよ、今からでも旅に。」
まぁ、そうでしょうね。仕事も家事も育児もあるし、そう簡単には旅に出られませんよねぇ。
「そんななぁ、簡単な理由じゃないんだよ。いい?投薬やらなんやらで、病院から遠くに出かけられないの。」
あら、そうなんですか、それはお気の毒に。
◇
そう、秋といえば、晩秋といえば、「アカ」の季節。
幸いなことに、私が生活しているのは広島県。県のシンボルが「もみじ」。ちょっと車を出せば、これからの季節には「アカ」がいろんなところで見られるわけです。宮島に行かなくても「もみじ饅頭」が食べられますし。
ま、饅頭のことはともかく、今年はとことん「アカ」探しにこだわろうかなと。
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「だからねぇ、」あーわかったわかった。
そりゃ、私は週一度ペグインターフェロン注射するために通院して、毎朝毎晩リバビリンのカプセル飲むだけでいいんですから、うまくやれば泊まりの旅だってできますよ、体調よければ。うらやましいだろ。
だいたいさぁ、こういうときは思いきりですよ。先に「旅に出る」って決めるもんでしょ。
旅に出る→これとこれとこれがやばい→今でき得る旅の残りっカス
で、その残りっカスをいかに楽しむか、そういうもんでしょ。
日帰りだって旅は旅、「アカ」を探しにいくには十分じゃないの、多くの人にとって。お弁当もって近くにサイクリング、これも旅は旅。窓の外を見ながら「心の旅」なんてのも、、
「ふざけるな!」
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つい最近、「アカ」を見つけました。これが、もう、すばらしい「アカ」でした。
10月の連休に、松江-出雲間のサイクリング、このコースは景色がいろいろ変化して飽きません。
温泉街→道路→湖畔→草原→河岸→街中→松林→海→神社。
ヤマトタケルあたりも通ったであろう草原の中を自転車で爆走していると、トンボのつがいが道先案内人を勤めてくれるのはいいんですけど、トノサマバッタやヘビが通せんぼしてくれるんですよ、なんてこった。
この過程をブログにアップしながら旅を続けていたら、患者仲間にこの辺がふるさとの人が何人かいらっしゃいまして、「宍道湖の夕日を見て、写真に撮ってきて」って言われたんです。
背中に日が落ちているのを感じながら、まにあわないかもしれないという焦りを感じつつ、湖畔に出るために必死に自転車をこぎました。

その光線の入射角から想像できないほど、暖かく柔らかな光が、私を包みます。この世界の源が、毎日私達に「さよなら」を言う、そのゆっくりとしたお別れを楽しみながら、なぜかずっと涙が止まりませんでした。
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毎日発生する夕日、毎年発生する紅葉、そんな生きていりゃ何度でも遭遇するありふれた現象に、なぜそんなに感動させられるんでしょう。
それは、「旅」をしているからに違いありません。
一切のしがらみを捨て、自分の五感を敏感にして、このいつでも起こりうる現象を改めてしっかりと知覚しようとする行為、これこそ「旅」なのかも。
「あぁ、日本のどこかに、私を待ってるヒトがいる。」
その「ヒト」とは、そんな「旅」をしているあなた自身なのかもしれませんね。
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さぁみなさん、いい日が来ました、旅に出ましょうよ。