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骨髄移植を受ける前に6人部屋にいた。これだけでストレスのかかる状況である。とくに血液疾患の病棟など、それこそ死に直面している人が同じ部屋に何人もいる。病気や経済状況に関する深刻な話が、どんなに声を潜めても他人に筒抜けになってしまう。地震の被災者のための避難所もかくやという状況だ。病室はすべて個室にすべきである。患者たちの交流の場は別に用意すればよい。
その6人部屋に大手家電メーカーのエリート技術者(自称)のおじさんがいた。しきりたがりで同室の患者に上から見下したものいいをする。同室の住人から随分煙たがられていた。そして看護師さんたちにも、しばしば説教を垂れていた。「お前ら、コスト感覚がない!そんなことじゃあ、企業じゃ通用しないぞ!!」。
やかましい!企業と病院とは違うんだ!!そう言いたかったが我慢した。喧嘩をする元気のある人間は骨髄移植を受けたりはしない。この人はぼくの職業を知ると「大学って世界もほんとうにコスト感覚がないよね」と言った。まあなんとかの一つ覚えもここまで徹底すれば見事なものだと思わぬでもなかったが…。「コスト感覚」は企業社会では金科玉条だろう。それが限られた世界のローカルルールでしかないことがこの人には分からないのだ。
社会のなかで高い地位にあった人ほど、病気はこたえるだろう。慣れない弱者の地位に突き落とされるからだ。病気や老齢で周囲の保護を必要とすることになった、かつての「えらい人」ほどはた迷惑な存在もないのではないか。義父の知り合いで、県の偉いお役人だった人物がいる。脳梗塞で倒れて認知症に近い状態になった後でも彼は、役人時代さながらに威圧的に周囲を怒鳴り散らし、医療者や患者仲間を辟易とさせていたという。
自称高級技術者もこのお役人も、社会的地位があるという意味では「えらい人」だったのだろう。しかし、本当に人間的な値打ちがあるという意味での「えらい人」ではなかった。自戒の念をこめていうのだが、社会的に成功した日本の男というのは、ほとんどこの手合いではないのだろうか。
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