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7月15日の深夜、近所で大きな火事がありました。両親は2階から飛び降りて無事でしたが、骨子と同じ中学に通う二人の子どもが犠牲になりました。3年生のM君は骨子と小学校が同じで何度も同じクラスになっています。弟のH君には、この3月まで太郎が吹奏楽の同じパートの先輩としてお世話になりました。昨年秋の水戸であった吹奏楽の大会には、M君が応援に来ていました。大変仲のよい兄弟だったようです。M君は一度はベランダに出ていたのに、弟を助けようとして部屋に戻り犠牲になったという説があります。
連休明けの火曜日。朝の全校集会で二人の死が告げられました。全員で黙祷。兄のM君のクラスでは、彼が作った修学旅行の新聞の前に女子生徒が群がり号泣していたそうです。バドミントン部のエースで、ミュージシャンになるのが夢だったという、かっこよくてやさしいM君は、女の子に大変人気がありました。兄弟のお母さんはフィリピンの方です。その南国的で陽性な気質を受継いだのでしょうか。二人とも明るく愉快な性格で、悪い評判はまったく聞かれませんでした。
骨子のクラスの担任は熱血体育教師。「お前らなぁ。Mの無念を思えば、安易に死のうなんて絶対考えるんじゃないぞ」といってそのまま泣き崩れてしまいました。先生になってまだ3年目。教え子の死にはじめて接したのでしょう。 国語の中年の女の先生は、M君の去年の担任。中島みゆきの「永久欠番」の歌詞を配り、CDをかけていいます。「毎年卒業式の前にこれを配るのにね。こんなに早くこの歌を聴くことになるなんて…」。この先生もやはり泣き崩れてしまいました。
火事の翌日は海の日。バドミントンの大会当日です。M君と組んで春の大会のダブルスを制したA君は、この大会の第1シード。顧問の先生は、事態をA君に告げ、ペアを代えてダブルスの試合に出るよう促します。しかしA君は、「ぼくはM以外の奴とペアを組むつもりはありません」といって棄権し、そのまま部活を引退してしまいました。終業式の日には1学期に活躍した生徒が表彰されます。M君とA君の名前が呼ばれました。壇上には悲しみにたえて一人毅然と立つ、A君の姿がありました。
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