「ロクな政治家もいないのに、何故日本は短期間で経済大国になることができたのか?」。外国人からそう尋ねられると、精神科医の中井久夫さんは「ただの人がえらいからだ」と答えるそうです。 たしかにそのとおりだと思います。日本の医者が世界的にみて、すごく知的レベルが高いという感じはもちません。しかし、たしかに普通の人のえらさ、かしこさを実感する場面はいくらでもありました。
無菌室のぼくの部屋の掃除に来てくれていたのは、50代後半の地元のおばさんでした。入室後、最初の朝に彼女が言った言葉は忘れられません。「加齢御飯さん。あんたもう大丈夫だよ。大山(おおやま=丹沢山系の霊峰)さんが守っていてくれるからさあ」。この部屋でもたくさんの患者がすでに死んでいるはずだ、などとは言いますまい。本当にそう信じている人の言葉には力があります。
気さくなおばさんで、よく身の上話をしてくれました。「いや、金には困らないんだけどね、家にいて嫁と喧嘩しててもつまんないからさあ、こうして病院で使ってもらってるんだよ。人様のお役に立てて、ありがたいことだよ」。看護師さんたちの話だと、彼女の家は厚木のあたりの土地持ちだかビル持ちだかで、その資産は優に億を超えるのだと言います。アメリカで、ん百万ドルを超える資産をもつ女性が病院で掃除の仕事をしていることなど絶対にないでしょう。
病院のある町は大田道灌の居城のあったところです。無菌室にいた時に「道灌祭」というのがありました。道灌役にパンチ佐藤(笑)。お姫様役が佐藤藍子だったか・・・。 無菌室でその話題になりました。部屋のなかには、主任の看護師さんと中村江里子(女医)、ジャニーズ系(大学院生)、そして掃除のおばさんがいました。
「道灌といえばこれですね。『ななえやえ 花はさけども山吹の』」ぼくが上の句を読むと、下の句に和したのは掃除のおばさんでした。「みの一つだに なきぞ悲しき」。他の3人はキョトンとしていました。「いやあ加齢御飯さん。学があるじゃあないか」。豪快に笑いながらおばさんは部屋を出て行きます。「なんすか。さっきの短歌みたいなやつ」。ジャニーズ系が不思議そうに尋ねます。 チョーサーだかの時代の武人の詩を、医者が知らなくて掃除のおばさんが知っているなどということは、イギリスでは絶対にないでしょう。 中井さんのことばが、説得力をもって迫ってきます。
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