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  2006/09/24 掟の前で

10月3日の心臓痛は、妻にも大きな不安を与えました。無菌室では、各部屋のベッドサイトに電話があります。病院の所在地とぼくらの家との間には、電車とバスで1時間ほどの距離があります。小さな子どもを二人を抱えた妻は、毎日来るというわけにいきません。そこで電話で連絡を取り合い、家族はぼくの健在を確認していたのです。ところが、3日の心臓痛騒動で電話線が切れてしまったのです。検査のための機材搬入に伴って生じたトラブルで、それは仕方のないことです。しかし、問題はその後の病院側の対応でした。

 3日の昼からいくら電話をかけてもつながらない。不安になった妻は、無菌病棟のナースステーションに電話をかけます。すると若い看護師さんが出てきて応対します。彼女は、私の病室の電話線が切れてしまったことを伝えます。妻は、当然こう尋ねます。「それで夫は元気なんですか?!」。それに対する看護師さんの応答はこうです。「申し訳ありませんが、規則ですからお教えできません。私たち、医師の許可なしに患者さんの病状を外部の方に知らせることはできないんです」。

 妻は気色ばんでこう言いました。「『外部の方』って、私は家族です。妻なんですよ!!どうして教えていただけないんですか!!!」。しかしそれでも暖簾に腕押し。「規則ですから・・・」という答えが返ってくるばかりでした。らちが開かないので、よほど病院に駆けつけようと彼女も考えたようですが、しかしまだ2歳の太郎がこの時熱を出してしまって、それもかないません。結局、翌朝8時過ぎ、電話線が回復し、16時間を超える昏睡から目覚めた私が電話を入れるまで彼女は不安な状態に置かれたままだったのです。

 看護師さんたちの名誉のために一言しておきますが、無菌病棟の看護師さんは、みなとても仕事熱心で有能な、そして感じのいい女性たちばかりでした。そういう人たちが集まっていてもなお、こうしたカフカ的状況が平気で出現するのです。それが大学病院というところ。みなさん、くれぐれも大病をなさいませんように。それが身を守るための唯一最大の手立てだとぼくは思います。

投稿者 kotani : 15:09 | コメント (2) | トラックバック (0)
  2006/09/14 エレーン

 1999年10月3日。その日は危うくぼくの命日となるところでした。10月の1、2両日をかけて化学療法を無事終了。恐れていた吐き気、下痢、劇症膀胱炎等々の恐ろしい副作用にも見まわれることなく、3日の朝を迎えることができました。
 
 この日の朝も平穏に始まりました。異変が生じたのは昼食時です。昼食の牛丼(もちろん無菌室仕様)の臭いにむせ返り、猛烈な吐き気を覚えました。トイレでもどして、食べるのをやめ、ベッドに横たわっていると胸に激烈な痛みが走ります。ナースコールで看護婦さんを呼びますが、彼女も動転している様子です。入室前に何度も調べて、心臓にはなんの異常もなかったのですから。

 知らせを聞いた若い医者が何人も部屋に入って来ました。検査のために何やら装置を組み立て始めます。のんきな様子で笑い声さえ聞えます。「この野郎」と思ったのですがもちろん怒る元気はありません。彼らは、手を尽くして調べてはくれたのですが、原因はさっぱりわかりません。

 激痛は3時間以上続きました。心臓を万力で締め付けられるような、これまで一度も経験したことのない、凄まじい痛みです。ぼくは早く痛み止めを打ってくれるように頼みます。しかし医者どもは「原因がわからないうちは薬を処方できない」などと官僚的な対応しかしません。「わからない」。「しかし命に関わる状態ではあるね」などと他人事のように話しています。

 病棟での主治医の一人は、中村江里子似の女性医師です。彼女の応対は親身なもので、ずっとぼくの手を握ってくれています。美しい女性に手を握ってもらえて死んでもいいという気持ちになるかといえば、そんなことは絶対にありません。結局痛みがはじまって3時間以上たった4時ごろになって、みかねた中村江里子が鎮痛剤を処方してくれました。注射針がさされた時、これで楽になれるという期待と、このまま死ぬのではないかという不安が交錯しました。この薬は良く効いて、その後16時間あまり、ぼくは昏睡しました。目が覚めると嘘のように痛みは引いていました。何より自分が死ななかったことに安堵を覚えました。

 医者が「命に関わる状態」というのだから、ぼくはこの時本当に死にかけていたのでしょう。よくいう「幽体離脱」めいたことは起こったような気がします。しかし、「お花畑」はみえませんでした。そのかわり私の頭のなかでは、中島みゆきの「エレーン」の「生きていてもいいですかと 誰も問いたいエレーン」というフレーズが繰り返し、繰り返し、大音声で鳴りわたっていたのです。

投稿者 kotani : 17:34 | コメント (0) | トラックバック (0)

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