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・加齢御飯さん
(骨髄異形成症候群)

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  2006/06/30 矛盾

 骨髄移植の前には、身体中の検査を受けるます。入院から移植までの2週間ほどの間に30数種類。身体中に副反応やGVHDが出るから、悪いところがないか、厳重にチェックを施すのです。いつも呼び出され、同室の人たちから失笑がもれるほどでした。「飛び回ってて、元気そうだね」。「一体どこがわるいの?」とからかわれたり、不思議がられる始末。

 骨髄移植は超激烈な治療。致死量に数倍する抗ガン剤の投与と放射線照射とを受けます。タフでなければ生き残れない治療法です。私は移植を受けた時、骨髄以外のすべての部位は完全に健康な状態でした。だから無菌室から生還することができたのだと思います。しかし、「致死量をはるかに超える」ものをぶちこまれて、どうして生きていけるのでしょうか?ああ、人体の神秘。

 骨髄移植は矛盾をはらんだ治療法です。身体が元気なうちにこの治療を受けた方が、絶対に治癒率・生存率は高まります。しかし、骨髄移植を受けたためにとりかえしのつかないことになる危険性は、それがどんなに「安全」とされる病態であっても、ゼロではありません。医者が移植を進める時、患者や周囲の人は必ず「どうして?こんなに元気なのに??」と思うことでしょう。

 90年代に入ってから、骨髄移植の治癒率は上がっていないと聞きます。免疫についての知識はどんどん進歩しているから、これは意外な感じを受けますが、つまりは生身の人間だということです。「致死量の数倍」の世界に耐えられるのは、元気な(骨髄以外は)、若い人ということになるでしょう。われながら、よくあの苦しい治療に耐えたと思います。通常治療がもっと進歩して、あの苦しみを味わうことなく、血液疾患に罹った患者さんたちが、健康を回復することのできる日が来ることを心から祈ります。

投稿者 kotani : 19:28 | コメント (0) | トラックバック (0)
  2006/06/24 翼をください

 一昨年の秋、急にひざの調子がおかしくなりました。激痛が走り、交差点の真ん中で歩けなくなってしまったのです。ああ、死ぬかと思った。医者に行くと、加齢が原因の関節炎だという(この時です。「加齢御飯」というアイデンティティがうまれたのは!)。骨髄移植は激烈な治療なので、実年齢に10歳プラスして考えた方がよいという主治医の忠告が思い起こされました。

 しばらく整形外科通いが続きます。私のような「加齢なる人々」が多数を占めていたことは予想通り。しかし中高生と思われる若者(子ども?)の数が多いのには驚きました。日にやけて、スポーツをやっていると思しき、男の子や女の子たちです。部活で怪我をしたり、体を痛めたのでしょう。

 私たちの頃には、一部を除くと中学の部活はお遊びのようなものでした。試合は年に数えるほど。ところがいまは違います。しょっちゅう試合があるし、強いクラブだと遠征や長期の合宿まであります。昔の高校の部活が中学まで降りてきている印象です。未発達な身体に大きな負荷をかけるのだから、怪我や故障が増えるのも道理です。

 本格的にスポーツをはじめる年齢が昔に比べて下がってきています。そして多くの子どもたちが頂点を目指してしのぎを削っている。なにしろまだ子ども。長くやっていれば飽きるでしょうし、。勝つことを求められ続ければ、その競技がいやになってしまうかもしれない。何より、過酷な練習が子どもたちの身体に大きなダメージを与えていることは、整形外科で私の目撃した光景が証明しています。加熱する中学の部活動は、優れた人材を育てるというよりむしろ、精神的・物理的に潰しているのではないかとさえ思っててしまいます。

 ワールドカップサッカーの日本代表チームは、自分たちの力を発揮することなく、ドイツの舞台を去りました。プロ意識の欠如。個の弱さ。様々なことがいわれています。しかし私にはピッチに立った日本の選手たちが、盛りの年齢であるにも関わらず、すでに疲れ果てているようにみえました。あまりにも早く、一つの競技に特化して、エリートたるべき訓練が課されることの無理が、端的にあらわれた敗北であったと私は思いました。

投稿者 kotani : 18:53 | コメント (0) | トラックバック (0)
  2006/06/15 髪は長い友だち

 自慢ではありませんが、私は若い頃「からすのような黒髪」が自慢でした。ところが病気のみつかる2年前ぐらいからでしょうか。急に白髪が増えてきました。いまにして思えば病気の前兆だったのでしょう。悲しいわ。

 無菌室では当然、髪が全部抜けました。抗がん剤投与の1週間後ぐらいから、本当にばさばさという感じで。一度抜けた髪が全部生えそろうのに、6ヶ月ぐらいかかりました。移植の前に期待していたのが、病気が原因で増えた白髪なら、今度生えてくるときには黒い髪に戻っているのではないかということでした。ドナーの体質を受け継ぐ部分が大きいということも聞いていました。兄の髪の毛は50をいくつもすぎてもまっ黒です。ところが生えてきたのは白い毛ばかり。兄から受け継いだのくせ毛でした。

 真っ白な髪の毛!これではお年頃の娘さんたちの前にはとても出られないと思い、髪を染める決意をしました。散髪屋さんで適当に染めたのです。そうするとバサバサと髪が崩落してきました。見栄で髪を染めて、禿になったらたまったものではない。そう思って染めるのはすぐにやめてしまいました。

 でも真っ白な髪だと自分の子どもたちのおじいさんにしかみられませんでした。悲しかった(泣く)。一番ショックだったのは、近所の娘の同級生から、「こんにちわ!桜ちゃんのおじいさん!!」っていわれたことです。移植を受ける前には、まだ小学校1年生だったこの子から「こんにちわ!桜ちゃんのお父さん!!」って言われたことがあるのですから。ああ、2階級特進(だとお兄さん→おじいさん?)してしまった。

 それで最近また染めるようになりました。ヘナ染めというのをやっています。ナチュラルで髪にやさしいというふれこみです。さようなら。禿の恐怖!美容院で染めています。周りは女性ばっかり。おやじは私ぐらいのもの。よく平気ですねといわれますが、私の職業をみなさんご存知でしょう。周りが女性ばかりだといってでひるんでいてはとても勤まる仕事ではありませんから。

投稿者 kotani : 21:47 | コメント (2) | トラックバック (0)
  2006/06/06 父の日の贈り物

 6月に入ると貧血はますますひどくなっていきます。貧血だと顔色が蒼白になりますが、妻によれば日に当たるともう透き通るようにしろくなってしまったそうです。6月のはじめには、輸血の量が増えていきいます。処置室のベッドに横たわって、恒例の「十勝アンパン」を食べながら、「ああ、もうおれは死ぬのだな」としみじみ思ったものです。

 それにしても、HLAの判定結果が届くのがあまりにも遅い。それを鳥取の病院に催促してみると、「ああ、申し訳ない。送るの忘れてました」。人の生き死にに関わることを「忘れていました」ですませるとは!怒鳴りつけたいのですが、何しろ貧血が進んでその気力もありません。ともあれ、これで次の検査の日には結果が判明しているわけです。

 父の日の日曜日は、その前日です。この日の夜は外食にしよう、びんちゃん(私のこと)の好きな店を選んでいい、と妻が言ってくれます。伊勢丹デパートの串焼やに行って、ぼくはお目当てのにごり酒を飲みます。妻からは、文房具の絵がたくさん入ったネクタイをプレゼントしてもらいました。

 翌朝、診察室に入ると開口一番、せんだみつお似の主治医がこういいます。「あっちゃいましたよ。いやあ、兄弟だと4分の1の確率でマッチするというけど、経験的には二人兄弟だとほとんどあわないものなのでね。あなたも駄目だと思っていましたが、これは案外運がありますよ」。 こいつおれが死ぬことに決めていたのかと、腹立たしくもありましたが、希望の光がみえてきました。一日遅れの大きな「父の日のプレゼント」ができたのです。

投稿者 kotani : 19:28 | コメント (5) | トラックバック (0)

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