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    <title>行灯さん</title>
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    <updated>2006-12-07T07:13:45Z</updated>
    
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    <title>おわりに</title>
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    <published>2006-02-13T06:10:15Z</published>
    <updated>2006-12-07T07:13:45Z</updated>
    
    <summary>　今回このエントリーでＭＥＬＩＴでの私のブログを 閉じようと思います。　 　　　...</summary>
    <author>
        <name>miuras</name>
        
    </author>
            <category term="あいさつ" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://melit.jp/voices/andon/">
        <![CDATA[　今回このエントリーでＭＥＬＩＴでの私のブログを
閉じようと思います。　
　　　　<img alt="momohana03 FIORE.gif" src="http://melit.jp/voices/andon/momohana03%20FIORE.gif" width="223" height="244" />
　　　　　　　　<em>イラスト；ＦＩＯＲＥさんより</em>
       ]]>
        　昨年の夏の8月に統合失調症の妹が子宮体癌と
診断されてから、それまで幻聴による小さなトラブル
ばかり対処していて、妹ときちんと向き合って生活
してこなかったことに気付き、精神神経科医の
nishimaせんせ（ＨＮ）のブログのコメントなどに書き
込みをしていました。　
　するとnishimaせんせはＭＥＬＩＴのスタッフと交渉して
下さり、肝疾患とは直接関係ないのにもかかわらず、
スタッフの皆様の許可をいただき、約30回ほど妹の
疾患の経過に沿って記事にさせていただきました。

　こうして書き込ませていただいた結果、この疾患を持つ
家族のあり方を再確認することができ、これから妹と
できることを具体的に見つけることができました。
　それは、比較的料理が好きな妹ですので、まずは色々な
施設でボランティアでよくされているクッキーとかパンを焼く
ことです。一緒にやってみようと思っています。まずは
身内から親戚へと広げられるといいと思っています。

　小さいころからいつも受身的に生活してきた彼女にとって、
だれかのために何かできるということは、もっと生き生きできる
のではないかと思います。

　このまま彼女との生活を書き込もうかとも思いましたが、
執筆の当初から妹を素材にして記事にしてる後ろめたい気持ちが
拭い切れず、ここらあたりが限界と感じました。
　統合失調症の幻聴にどのように振り回されていたかを知ってもらう
ことも必要なのかもしれませんが、もし同じ病気で苦しんでいるかたが
もしこれを読まれたならば、結局よりいっそう落ち込ませることに
なりそうに思ったのでそこにも限界を感じました。
　
　統合失調症は早期発見、早期治療を行えば回復する脳の
病気です。
　最近はいい薬も出て、治療を受け続けていれば普通に生活でき
恐い病気ではありません。個々によって全く症状の度合いが違い
ますので、マスコミなどでひっくるめた報道の仕方にいつも憤りを
感じています。
　しかし発病から落ち着くまでの経過にかなり時間を要することは
家族として覚悟は必要と思います。
　家や財産が無くなろうが、病人を守るくらいの開き直った覚悟は
家族には必要です。それと同時にひとりとか一家族で抱えこまない
ことはとても大切です。
　共倒れになることほど悲しいことはありません。
　私自身こうして頑張れるのは、夫や息子、友人、知人、それに
妹を取り囲む友人、知人、そしてＭＥＬＩＴに集うやさしい心根を
御持ちの方々や治療に携わっているかたがたのおかげです。

　それと書き込みをしていて私が間違っていたことは、世の中の
急な流れに付いて行かないとやっていけないと思っていたことでした。
　妹なりに合うゆっくりした速度の世の流れを側溝でいいから、
そちら側を一緒に流されていくのもいいのではないかと分かりました。

　彼女のこれからのことは、また何年か経って皆様に何かの形で
御報告できればと思いながら、このエントリーを終わりに致します。

　皆様のコメントやＴＢなどは、とても参考になり励みになりました。

　眞三先生をはじめ石田優子さまスタッフの皆様、
　またつたない文章を読んでくださった皆様、
　本当にありがとうございました。

　
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>社会との接点</title>
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    <published>2006-02-12T11:49:45Z</published>
    <updated>2006-02-13T21:08:23Z</updated>
    
    <summary>　妹が短大を卒業し初めて社会と接したのは、 中小企業の会社員になったときでした。...</summary>
    <author>
        <name>miuras</name>
        
    </author>
            <category term="病気" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://melit.jp/voices/andon/">
        <![CDATA[　妹が短大を卒業し初めて社会と接したのは、
中小企業の会社員になったときでした。
　手先が少し不自由でしたが頑張って電話
交換手の免許を取り、彼女なりの夢を持って
就職しました。
　　　<img alt="08  kisetunomado.jpg" src="http://melit.jp/voices/andon/08%20%20kisetunomado.jpg" width="218" height="150" />
　　　　　　　　　　<em>イラスト；季節の窓さんより</em>]]>
        　電話交換手の講習では電話での接客を習います。
　人前では緊張してしまうので交換手ならば彼女に合う
仕事だろうと家族は簡単に考え、さほど心配しませんでした。
　父は病気がちで、私達姉は嫁いで家を出てましたので、
彼女の仕事での悩みは母に話してたようです。
　雇用側の会社としては交換手でも一通り各部署を回らせる
ことが決められていたようで、緊張しやすい妹は各部署で
仕事に時間がかかり失敗も多くあったようでした。
　いわゆるいじめのようなものもあったようです。

　半年経った頃会社に行きたくないと母には言ってたようですが、
母は一生懸命真面目にやっていれば、電話の仕事も回ってくると
いつも激励ばかりしていたようです。
　過保護で育てられたことと、生来の脳の気質にかなりの
ストレスが加わりこの２年間で脳がダメージを受けたのでしょう。
　明確な原因はわかりませんが、発病してしまいました。

　交換手の席はそう容易に空くものでないことと、電話交換機が
どんどん進化していき、妹には付いていけなかったこととで
発病と同時に辞職しました。

　主治医は趣味程度の簡単な仕事は許可してくださったのに、
母は彼女を家事手伝いをさせながら自分の身近に居させて、
外との接点を積極的に持たせようとしませんでした。
　親戚にも彼女の身体が生まれつき弱いからと言って、
病名は明かしませんでした。
　母と違って父は社会との接点を持たせようと、あれこれ
助言し、一時期は毛糸の器械編みを習いながら、配達物の
仕分けのパートの仕事をしていました。
　会社勤めのような社会の急激な流れや波に関係あるものには
融通の利かない妹には無理だったのです。
　
　単調な流れの仕事をコツコツと頑張って続けられそうと家族皆が
喜んでいたところ、彼女を信じて薬の服用中止と聞かされてたこと
が全く違っていて、勝手に自分で服用しなくなっていたことがわかり、
すっかり病状が元に戻り仕事どころではなくなりました。

　薬物療法の治療が元の軌道に戻る数年の間、彼女は事故で
右大腿を二度も骨折し、ますます社会に出ることが少なくなり
対人関係に親戚でもとても緊張するようになった気がします。
　
　ただ彼女はつくづくラッキーと思うのですが、短大以来の友人で
身内に同じ病気のかたがいて、今でも妹にやさしく接して下さる
人がたったひとりいることです。
　その彼女の友人は御主人を新婚2年目で亡くされ、お子さんも無く
孤独でいらしたのでしょう。妹に何かできるということで救われている
といつも言ってくださり、年末年始は泊まり泊まられのありがたい
お友だちです。
　その友人は御自分の仕事が休みのときには、半ば強制的に妹を
外に連れ出してくださったりもし、閉じこもりにならなくて済みました。
　外との接触で、妹自身の思い込みが大きすぎることや幻聴が現実
でないことや学生時代のように人を信じることという感覚を取り戻せた
と思います。

　　最近の妹は、その友人や教会の優しい仲間や牧師さん、それに外来で
会う同じ疾患の人のおかげで、人様にしてもらうばかりでなく今自分に
無理せずできることは何かとようやく考えられるようになりました。
　もうひとつは、おそらく年齢的なこともあって、脳の敏感度が落ち着いて
きたのかもしれません。
　最近は家族を幻聴で巻き込むことが無くなりました。
　落ち着くことによって、買い物なども以前のように緊張して汗だくになる
ことがなくなりました。

　何でもあきらめないでいてほしい、世の中棄てたものではないと
私はよく思います。
　人はやはり一人ではないのです。誰かが知らず知らず見つめていて
くれてる気がします。

    </content>
</entry>
<entry>
    <title>「不安の力」を読んで（７）</title>
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    <published>2006-02-11T07:25:25Z</published>
    <updated>2006-02-11T22:45:40Z</updated>
    
    <summary>　同じタイトルのエントリーがもう７回目になりました。 　妹の病気のことに関して、...</summary>
    <author>
        <name>miuras</name>
        
    </author>
            <category term="読書" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://melit.jp/voices/andon/">
        <![CDATA[　同じタイトルのエントリーがもう７回目になりました。
　妹の病気のことに関して、家族としてどうあるべきか・・・、
彼女の幸せとはどんなことだろうか・・・と書き込んで
みようと思いつつ、この本を手にしたことでかなり
寄り道をしています。
　　<img alt="ume_1pekepon.gif" src="http://melit.jp/voices/andon/ume_1pekepon.gif" width="200" height="150" />
       　　　　　　　 <em> イラスト；ペケポンさんより</em>]]>
        <![CDATA[　よく私の友人に聞かれることに、よくそこまで身内のケアが
できるのはどうしてか・・・ということがあります。
　義父が寝たきりで義母も倒れたときに、病院を嫌う義父の
気持ちを重んじて義父母宅に一日おきに義姉と泊まり込んだ
とき、川の字になって義父と義母の間に寝ていたことが
ありました。看護師の友人でも自分にはできないと言ってました。
　なぜって言われて深くは考えませんでしたが、先に旅立った
私の大好きな父がどこかで見ているような気がしたことがあって、
自分の父親のつもりで看ているのよっと答えたことがあります。
　　妹の場合はというと、やはり先に旅立った母や姉達がきっと
心配しているから・・・という気持ちが心の奥のほうにある気が
します。

　以前看護師をしていて、明らかに死を意識して残された時間を
一分一秒を大切にする御家族に接していると、必ず思い出話で
家族みなが同じ思いを共有している場面によく出合いました。
　生き方も死に方も御一人御一人違っているのに、死ぬ前に
共有できる思い出の世界があるということは、死の不安を
自然に落ち着かせているように見えました。
　これは家族に限らず、知人友人でも同じ体験をして共有の
時間を過ごしている場合、家族と同じような気持ちになれると
思います。

　そのように人間は自然に不安を軽くする術を、心の奥に
いつも持ち合わせている気がします。

　五木氏は「百寺巡礼」のガイド版の著書があり、各地の寺を
巡るTV番組にも出演されてたのを数回拝見したことがあります。
　ですから、この本には仏教に関する難しい言葉も使われてる
箇所があり、仏の教えが五木氏のこの著書の根源にあるのかも
しれません。
　宗教はブレーキだと述べられながら、読んでいてどこかしら心を
束縛しないでものごとをプラスに考えようとされてるように
感じました。

　<strong>『こころのやさしい人ほど、柔軟な人ほど、あるいは素直な人ほど、
自然に不安を抱えている。その不安をどうしようもなく持て余している。
そんな時代なのです。
　とすれば、不安であるということは、その人がまだ人間的である、と
いうことでしょう。』</strong>　
<strong>『・・・不安はなにかの便りを運んでくる大事なメッセージだからです。
それは、あなたの心身はもう限界だよ、これ以上無理な仕事はしない
ほうがいいよ、というこころと体からの忠告かもしれません。』
『不安には<不安定>という意味もあります。そう考えたとき、不安は
ものが転がっていくために必要な力である、といえるのではないでしょうか。』</strong>
　
　私はいつも妹が不安な表情をしたりパニックになったりしていたとき、
重く深刻にとらえ過ぎていました。
　「不安は力」だ、人間らしいのだ、不安は希望の土台であり、
そう感じるときが再出発点だと、五木氏の述べられてる通りに、
私は考え直してみることにしました。

　以上五木寛之著の「不安の力」の感想でした。]]>
    </content>
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<entry>
    <title>「不安の力」を読んで（６）</title>
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    <published>2006-02-09T11:31:40Z</published>
    <updated>2006-02-09T13:23:11Z</updated>
    
    <summary>　不安はその個人の環境や背景によってそれぞれ異なり ますし、人ひとりが持っている...</summary>
    <author>
        <name>miuras</name>
        
    </author>
            <category term="読書" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://melit.jp/voices/andon/">
        <![CDATA[　不安はその個人の環境や背景によってそれぞれ異なり
ますし、人ひとりが持っている不安は種々雑多にあります。
　世界の情勢や住んでいる国や時代の背景によっても、
個人に及ぼす不安への影響は多くあります。
　　<img alt="tukusi02 kisetunomado.jpg" src="http://melit.jp/voices/andon/tukusi02%20kisetunomado.jpg" width="157" height="194" />
　　　<em>イラスト；季節の窓さんより</em>]]>
        <![CDATA[　この本の「真に頼るものがもてない不安」の題目の所では、
<strong>『生活水準を考えても、1945年前後の日本の悲惨な状態、今日
食べるものもないという状況を考えれば、いまは飢え死にすると
いう不安はほとんどありません。
　しかし、そういうものとは違う不安、生きていくうえで、これでいい
のだろうか、という漠然とした不安を感じている日本人が多いよう
です。』</strong>
　江戸の幕末に、外国からの文化を急速に受け入れてより、衣食住は
もとよりあらゆる文化を導入してきました。
　その中でも、日本人は宗教に対する寛容さというものを自然に身につけて
いて世界でも宗教の信仰の自由があり、イラクやイスラエルのことなどを
ニュースで聞いたりドキュメンタリーで観たりすると、私は日本に生まれて
良かったと思うことがあります。その反面、自由というのは心のより所を
求めるには強烈な洗脳に出くわすととても危険な状態になり、人間として
結局何を信じればいいのか分からなくなる恐さがあります。

　そのようなことから五木氏は
　<strong>『<真に頼るものが持てない>不安というのは、宗教を持たない日本人、
と言う問題抜きには考えられない気がするのです。』</strong>と述べられています。
　<strong>『自分の信じるものを持っている人間には、ある意味で強さがある。
それは自分の行いを使命だと信じて行動できるからです。
このように見えない物差しを持っているか、持っていないかということは、
非常に大きいのです。』
　『やはり人間は百パーセント孤独では、生きていけないだろうと思うところ
があります。目にみえないけれども、誰かが見ていてくれる、誰かの声が
聞こえる、という感覚があるからこそ独りで行ける。・・・・・・・・・
　じつはそれが宗教というものなのです。』
　『ぼくは世の中にとって宗教というのは具体的に役立つものではあるまい、と
思っています。宗教とは、世の中のプラスになるものではなく、一見、マイナスの
働きをするものではないのか。・・・・・・
　宗教は一種のブレーキだと思ってきました。
　経済がアクセルで、政治がハンドルだとすると、宗教はブレーキです。
ブレーキというのはスピードをを止めるものです。』
　『また、宗教は道徳とはちがいます。・・・・・・・
宗教というのは一見無用に見えるものです。しかし、長い目で見ていくと、いつか
どこかで人間に対してプラスになっている。』</strong>
　
　このように五木氏の宗教観は、いわゆるスピリチュリティの世界にあるものと
似ていると感じました。
]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>「不安の力」を読んで（５）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://melit.jp/voices/andon/2006/02/01/post_2.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://melit.sakura.ne.jp/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=10/entry_id=419" title="「不安の力」を読んで（５）" />
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    <published>2006-02-01T12:37:35Z</published>
    <updated>2006-02-03T04:32:54Z</updated>
    
    <summary>　この五木寛之著の本は、意図的に購入したものでなく 偶然病院の本屋さんにあったも...</summary>
    <author>
        <name>miuras</name>
        
    </author>
            <category term="読書" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://melit.jp/voices/andon/">
        <![CDATA[　この五木寛之著の本は、意図的に購入したものでなく
偶然病院の本屋さんにあったものです。
　読み進むうちに<a href="http://katos.at.webry.info/theme/1c7759b290.html">眞三先生のウェブリブログ</a>の中で
述べられているスピリチュアルに関する内容と似た部分が
あることに気付きました。
　　　　<img alt="063037TIN MOON.jpg" src="http://melit.jp/voices/andon/063037TIN%20MOON.jpg" width="150" height="150" />
　　<em>イラスト；ＴＩＮ　ＭＯＯＮさんより</em>]]>
        <![CDATA[　そもそも眞三先生のファンになりましたのは、御自身の著書をウェブリブログ
に紹介して下さったことからでした。
　以前看護師をしていた私は、どうして患者さんはベルトコンベアに乗せ
られたようにあちこち回されなくてはならないのか・・・、患者中心の医療は
不可能なんだろうか・・・とよく考えていました。
　
　眞三先生のブログを通して紹介されてた「患者の生き方」の感想を私の
ブログに書き込んだ所、コメントをいただきその内容に感動したのが昨年
でした。（その書き込みは私に読解力がなくて浅く読んでしまった感想文で
したので恥ずかしくて消してしまいましたが）
　
　眞三先生のこの著書は、患者の立場に立って患者としての考え方や
生き方を前向きに教え導こうとされ、医療側の患者を医療しやすいように
する強引な父権主義（パターナリズム）に警告を発せられるものでした。
　また先生は診察や治療をされながら患者の個の人格の部分を重要視
されて、そのやさしさにも引かれました。
　そして多方面の情報から眞三先生が正面から「患者中心の医療」に
取り組まれて実際に活動なさっていることを知り、きれいごとでなく
とても深く追求なさっている・・・と感じました。
　また御自身のブログの書き込みやコメントから、患者のあり方だけでなく
医療従事者のあるべき姿を教わったり感じとることができ学ばせて
いただきました。

　病気を抱えている人は、治療を受けながら底知れぬ不安とともに悩み、
いつも落ち着かない羅針盤を見つめ右往左往しているときに、いったい
何を支えにするのでしょう？
　そのようなことを考えているとき、私は“スピリチュアル”と言う言葉を眞三先生
のブログで知りました。
　スピリチュアルは霊的なという意味があるので、宗教の世界だろうかと最初は
思い違いをしていました。
　魂のある心のより所というのにはちょっと無理がありそうですが、安心できる
世界を信じることによって気持ちを落ち着かせる所がスピリチュアルの世界と
知りました。実際はもっと広い意味があるのですが、今の私にはここで書き
表す能力がありません。

　五木氏のこの著書には、スピリチュアルと言う言葉は使われてませんが、
不思議なことにそれと似たことが書かれてあり、人の行き着くところが
眞三先生と同じようでしたので、興味深く読み進んで行くことができました。
　次回はそこの部分をとりあげてみようと思います。

　
　私は無宗教ですが、妹はそばに家族がいても言いようのない不安を抱えた
ときの頼れる所として、自分からプロテスタントの教会に通うようになりました。
　母は生前、宗教に頼ることをとても嫌っていましたので、妹がよく自分から
行き始めたものだと意外でしたが、現実を幻聴に惑わされよほどつらかったの
だろうと思います。
　妹の場合“スピリチュアル”な癒される世界を求めた結果がそうだったんだろう
と思います。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　次に続く
　
　　<strong>※［注］</strong>ここで私は宗教を勧めているわけではありませんので、御気分を
　　　　害されましたらごめんなさい。
　　　　新興宗教及び既存の宗教の中でも詐欺まがいのことをしていたり、
　　　　当人に圧力をかけるようないかがわしいものは、私は断固として反対します。]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>「不安の力」を読んで（４）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://melit.jp/voices/andon/2006/01/28/post_7.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://melit.sakura.ne.jp/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=10/entry_id=243" title="「不安の力」を読んで（４）" />
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    <published>2006-01-28T00:28:50Z</published>
    <updated>2006-02-03T04:21:19Z</updated>
    
    <summary>　昔看護師をしていた頃、入院された患者さんには できるだけ安心して過ごしていただ...</summary>
    <author>
        <name>miuras</name>
        
    </author>
            <category term="読書" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://melit.jp/voices/andon/">
        <![CDATA[　昔看護師をしていた頃、入院された患者さんには
できるだけ安心して過ごしていただくためには悲しい
ことや嘆かわしいこと心痛になりそうなことは
避けなければならないと思っていました。
　　　　　　　　<img alt="056548 aya's Room.gif" src="http://melit.jp/voices/andon/056548%20aya%27s%20Room.gif" width="118" height="108" />
         　　　<em>イラスト；aya's Roomさんより　</em>]]>
        <![CDATA[　五木氏は“「こころの戦争」に傷ついてしまう不安”のところでは
次のように書かれています。
<strong>『・・・・・。悲しむのも泣くのも人間らしい自然の反応です。
そして腹の底から笑うということと、こころの底から泣くという
ことは、車の車輪のようにどちらも大事なことです。
　悲しみや嘆きや絶望を知っている人だけが、本当の意味
で喜びや希望を自分の手につかむことができる。』</strong>
　
　泣くときにきちんと泣けることは、こころから笑えることと
バランスをとっていることが大切と氏は言われます。
　
　看護していて一緒に笑うことはあっても、一緒に泣くことは
めったにありませんでしたし、私にはできませんでした。
　つらいことや悲しいことが毎日のことでしたし、それを知った
ところで気が滅入るばかりかこんな若輩ものには何もしてあげる
ことができないと思っていたからです。
　しかし私の上司に、統率力抜群でちょっと恐い看護師長がいましたが、
その方はおもしろいだけでなく、患者さんの悲しみ嘆きをその家族と
ともに涙できる人でした。
　患者さんのこころのバランスをうまく導いていらしたように思います。

　患者さんを妹に置き換えてみますと、私には妹を喜ばすことはあっても、
一緒に涙することは全くできないのです。
　それは妹自身が悲しみや嘆きよりも、幻聴や対人関係での緊張感
などの精神の症状に悩まされることが多くて、その疲れから無表情
で無意識になってしまうからです。ここらに精神疾患を持っていない人との
違いがあるように思います。
　妹がつらいとき号泣でもすれば、重たい気持ちが吐き出せるのではと
最初私は思ったことがあるのですが、つらさの感覚というか度合いが
少し異なっていて、人が悲しむ場面でもそこまで気持ちが向かない様子
になり、無表情というか視点が彼女だけの世界に向いてる状態に
よくなります。
　妹の場合はやはり病気のせいか不安のありかたが違うと思いました。

　次に五木氏は、雪のつもった枝にたとえて
　<strong>『人間は誰でも、ああ、もう生きているのはいやだ、というふうに
無気力感を覚えることもあります。これを「こころの萎えた（なえた）
状態」ともいいます。「萎える（なえる）は・・・・・ぐにゃっと曲がることを
いいます。・・・・・・・・・・・・・
　人間も一日のうちで、一生のうちで「こころ萎えた状態」を
くり返し持つのです。』

　『いまの時代は、その降り積もってくる風雪の重みが、耐えがたいほどに
なっている時代です。それだけ人びとがストレスを感じている<大変な時代>
なのです。それをすべて背負って抱え込んだままでがんばっていると、
いつか必ず折れてしまうのではないか。
　・・・・・・・生きていることでため息をつかざるをえない人たち。そういう人
たちは、まさに<こころが萎えた状態>を感じている。それはこころがしなって
いることであり、また、しなやかな生命力が残っていることだ、と考えて
ほしいと思います。曲がること、萎えること、そしてしなやかにしなうこと
もまた大きな力なのだ、と。』</strong>
　
　妹をみてると、若いころから生きることに不器用というか、萎えるとそのまま
しぼんでしまったり、真面目過ぎて途中でポキッと折れたりと適当でいい加減
のようなしなやかさが少ないほうでした。
　いまでも彼女はあいまいさがとても苦手で、考え方が真面目です。
　　そばにいる家族が妹以上に真面目ですと、もっと深刻な状態になる可能性
ありかも・・・。
　私がかなりいい加減なので丁度いいかもしれません。]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>「不安の力」を読んで（３）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://melit.jp/voices/andon/2006/01/26/post_10.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://melit.sakura.ne.jp/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=10/entry_id=242" title="「不安の力」を読んで（３）" />
    <id>tag:melit.jp,2006:/voices/andon//10.242</id>
    
    <published>2006-01-26T02:09:00Z</published>
    <updated>2006-02-12T23:53:10Z</updated>
    
    <summary>　パセリさん、私のつたないしかも消化不良の記事を 読んでいただき、それをいつも幅...</summary>
    <author>
        <name>miuras</name>
        
    </author>
            <category term="読書" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://melit.jp/voices/andon/">
        <![CDATA[　パセリさん、私のつたないしかも消化不良の記事を
読んでいただき、それをいつも幅広く展開して下さって※
本当にありがたくうれしく思います。
　（　※　→　<a href="http://atutakasi.at.webry.info/200601/article_10.html">揺れる思い</a>　）

　実は今朝時間が空いたので続きを書き込もうと
したのですが、色々思い巡らすうちに行き詰まって
しまいました。
　五木氏のこの「不安の力」の文庫本は易しく読めたのに、
「不安」ってなんだろうと考えはじめるととても範囲が広くて、
いままで人生を能天気に適当に過ごしてきた私には
とても難しいことだと感じ始めたからです。
    　　　　 <img alt="p_panzi-6pekeponn.gif" src="http://melit.jp/voices/andon/p_panzi-6pekeponn.gif" width="197" height="127" />
　　　　　　　　　<em>イラスト；ペケポンさんより</em>　        ]]>
        　精神疾患のある妹のような頭の状態の不安のあり方と、私達家族
（どちらかというと健常者）の不安のあり方が異なっていることが、
この著書を読むとわかってきたのです。
　そのような面でも妹の気持ちが理解できない部分の原因がある
のではと思いました。

　五木氏がこの本で「不安は決して恐ろしいものではない」と言い切れる
背景には、氏の歩まれてきた人生の体験豊富なことから個々の不安の
対処が速やかに行われて、いつまでも引きずらないで次の不安に
向かうエネルギーが残されているからなんだろうな・・・と思いました。
　弱ってる場合は、不安をかかえたままずるずると引きずり抱えてることに
疲れ方向を見失ってしまいます。
　パセリさんのおっしゃる揺れると動くのに、それすらできなくなるのだろう
と思います。
　とすると、私達家族が優しく無理させず動かしてやることは、視点が内より
外に向けられ、心にダメージがあってもちょっとだけ先が見えるようにできる
のではないか・・・とふと思いました。
　
　調子の良くない時の妹に対し、腫れ物にさわる感覚から卒業したいと
思いつつ、なかなか難しくてどう考えればよいのかわかりませんでした。
　ほんとうに沈み込んでるときは、治療を続けながら静観するのが最適と
思いますが、上向きになったときの対応が神経質になるのもどうかしらと
思っていました。
　精神疾患を持っているのですから、とうていすべてを理解することは
叶わないと思います。
　しかし家族としてもっと自然体でいて、彼女の不安を減らすことができる
のではと、素人的な発想なのですが感じるものがありました。
　
　また精神的にダメージを受けボーダーラインあたりに位置する場合には、
不安⇒絶望にすぐつながらないように不安のありかたを良い方向に導くように
書かれてあるこの著書はとても参考になります。
　本を読んだり、情報を得ようとする元気が残っている人にはちょっと視点を
変えられるかもしれないと思いました。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　次回に続く
　
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>「不安の力」を読んで（２）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://melit.jp/voices/andon/2006/01/21/post_1.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://melit.sakura.ne.jp/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=10/entry_id=241" title="「不安の力」を読んで（２）" />
    <id>tag:melit.jp,2006:/voices/andon//10.241</id>
    
    <published>2006-01-21T07:14:14Z</published>
    <updated>2006-02-02T08:25:33Z</updated>
    
    <summary>　この五木寛之氏の著書のプロローグ（まえがき）の中から 一部抜粋してみます。 　...</summary>
    <author>
        <name>miuras</name>
        
    </author>
            <category term="読書" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://melit.jp/voices/andon/">
        <![CDATA[　この五木寛之氏の著書のプロローグ（まえがき）の中から
一部抜粋してみます。
　　　　　　　<img alt="061186Miho'S House.gif" src="http://melit.jp/voices/andon/061186Miho%27S%20House.gif" width="166" height="145" />
              　　　<em>イラスト；Miho'S Houseさんより</em>]]>
        <![CDATA[　<strong>『いつのころからか、強い、はっきりしない不安を抱きながらも、そのことを
嫌い、敵視する気持ちがまったくなくなってきたのです。不安はあるが苦しく
はない、そんな感じなのです。
　心のバランスが崩れているな、と、ふと感じる。
　そしてなんとかそのアンバランスをたて直そうと試みる。そこにおのずと動き
が生まれてきます。生きるということは、結局、命が動いている、ということだと、
最近つくづく感じるようになりました。
　不安が生じ、その不安が自然に自分に働きかけてくる。不安は静止した状態
ではない。いやでも前のめりになったり、身を引きはなそうとする。そこに生命の
動きがおのずと現れてくる。
　不安とは電車を動かすモーターに流れる電力のようなものだと、いつからかそう
思うようになってきたのです。
　不安は命の母だと感じる。それは、いいとか、わるいとか、取りのぞきたいという
ようなものではない。不安は、いつもそこにあるのです。人は不安とともに生まれ、
不安を友として生きていく。不安を追い出すことはできない。不安は決してなく
ならない。』</strong>　

　・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
　
　<strong>『不安は、まず人間らしく生きようと思うこころの余裕から生まれてくる質の高い
感覚だと思うのです。』</strong>　

　
　私は、妹が当初幻聴や独語が多い時期に、この繰り返しが一生続くのだろうかと
とても不安でした。
　妹自身が一番つらいのに、私の不安をどうすれば払拭し無くすことができるのかと
いうことばかり考えていたと思います。
　不安は私のこころに貼りついて重くのしかかっていました。
　
　この本を最初読んだとき、そうだ不安は無くならないんだ、安心と背中合わせ
なんだと簡単で当たり前のことをすっかり忘れていました。
　不安がたくさんあっても下を向くことはないんだと気付きました。]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>「不安の力」を読んで（１）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://melit.jp/voices/andon/2006/01/13/post_6.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://melit.sakura.ne.jp/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=10/entry_id=240" title="「不安の力」を読んで（１）" />
    <id>tag:melit.jp,2006:/voices/andon//10.240</id>
    
    <published>2006-01-13T06:39:57Z</published>
    <updated>2009-01-25T01:15:57Z</updated>
    
    <summary>　年が明けてもう2週間経ってしまいました。 　のん気な私は、友達からの年賀の返事...</summary>
    <author>
        <name>miuras</name>
        
    </author>
            <category term="読書" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://melit.jp/voices/andon/">
        <![CDATA[　年が明けてもう2週間経ってしまいました。
　のん気な私は、友達からの年賀の返事をまだ書き続けています。
　思わぬ人から年賀が届くと、返事が自然と長くなって便箋に書き換えたりと
気の長いことです。
　
　さて昨年より病院に通う機会がふえ、待ち時間つぶしに五木寛之著の
文庫本で「不安の力」を読んでみました。
　妹の不安の表情は私の不安を映しているのではと思うことがときどき
あるので、つい手が伸びてしまいました。
　病院という特殊な環境での本屋さんの策略にまんまと引っかかった・・・？
ウ〜ン、そのほうが当たってるかも（＾＾）
　　　　　　　<img alt="icon01 kisetunomado.gif" src="http://melit.jp/voices/andon/icon01%20kisetunomado.gif" width="200" height="152" />
　　　　　　　　　　　<em>イラスト；季節の窓さんより</em>]]>
        <![CDATA[　この五木寛之いう著名な作家が“不安”をどう受け止めてるのかも
知りたかったのもあります。
　この内容はいわゆる健常者向けのことが書かれてあり、妹のように
治療中の人間を対象としていないので、妹の問題として捉えるのには
少し無理があるかもしれません。
　しかし精神科医でなく作家でありながら、的を得ている所が多いのには、
さすが視点が鋭いなと思いましたし、私がなるほどっと感じた部分も沢山
ありました。

　心療内科を受診する人がふえた話題の中で
<strong>『　心の不自由さ、自分のこころをコントロールできない悩み、こころの問題
から発するパニック、それによって起こるさまざまな苦しみ・・・・・。
こうしたことは、身体的なハンディキャップを持つ人たちの悩みや痛みを充分に
考えたうえでも、ひょっとしたら、さらに輪をかけて深いものかもしれません。』
　
</strong>　その誘因のひとつに五木氏は
<strong>『悩みを外に出せない時代。それはいまの世の中が競争社会だということです。』</strong>

<strong>『・・・・・。自分だけが、いつ何が起こるかわからないという不安を抱えて生きて
いるらしい。しかし、それを他人に知られてしまえば大変なことになる。
仲間はずれにされるかもしれないし、リストラされるかもしれない。そうしたら、
自分は社会の落伍者になってしまう。
　そのために、その人間は周囲の人たちと同じように笑顔をつくろうとし、無理に
いきいきと行動しようとします。必死でそうやって装うわけです。』</strong>　

　妹が過保護に育ち、就職し世間に出たときがそうでした。
　明るいと評判でよく頑張ってました。
　ストレスを知らず知らず溜め込んで限界だったのに、私達家族が気づくのが
遅かったのです。

　
　阪神大震災の話題のところでは、
<strong>『　人のこころが傷つくということ。それは善でもなければ悪でもない。
ひとつのあるがままの自然な状態です。』</strong>

<strong>『その苦痛を出来るだけ少なくするとか、そこらから回復していく道を模索して
いくことは大事です。』</strong>

<strong>『　それと（傷ついたこころ）どうつきあっていくか、ということしかありません。』</strong>
　
　妹の病名を初めて知らされたときはショックで絶望的で、将来にとても不安を感じ
ました。
　五木氏の書かれてる中で、「不安を持つことは自信を持つことと背中合わせの関係
にあるので、不安の正体をしっかりと感じ取りなさい、自分が不安を感じていることに
むしろ安心しなさい」という部分を読んだとき、家族として今まで不安から遠ざかろうと
向き合わないで逃げ腰になっていたことは、余計に不安にさせることに気付きました。

<strong>『不安は人間を支えていく大事な力である』</strong>
そのように考えてみようと思いました。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　次回に続く
　]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>経済的なこと（６）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://melit.jp/voices/andon/2005/12/02/post.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://melit.sakura.ne.jp/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=10/entry_id=239" title="経済的なこと（６）" />
    <id>tag:melit.sakura.ne.jp,2005:/voices/andon//10.239</id>
    
    <published>2005-12-02T10:56:27Z</published>
    <updated>2006-01-30T14:35:46Z</updated>
    
    <summary>　妹の病気が安定してきたのは、治療・家計・社会生活が落ち着いている ことにありま...</summary>
    <author>
        <name>miuras</name>
        
    </author>
            <category term="生活" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://melit.jp/voices/andon/">
        <![CDATA[　妹の病気が安定してきたのは、治療・家計・社会生活が落ち着いている
ことにありましたので、どうしても経済面を通過できないので、読まれて
不愉快になられるようであればお許しくださいませ。
　　　　<img alt="xmas_cut02kisetunomado.jpg" src="http://melit.jp/voices/andon/archives/xmas_cut02kisetunomado.jpg" width="300" height="207" />
　　　　　　　　　　　　　　<em>イラスト；季節の窓さんより</em>]]>
        <![CDATA[　妹の障害年金は２級で年間７９７，０００円です。
　年間の重要な必要経費は、家の火災地震保険（家の名義は妹ですので）
・国民健康保険料・固定資産税（税金控除あり）・ＮＨＫ受信料（精神障害の
場合は減免なし）・電話料金があります。
　その他冠婚葬祭費・友達との交際費などがありますので、その合計の
約１２０，０００円を引くと１ヶ月平均約５６，０００円で暮らすことになります。

　１ヶ月に１人分の食費が３０，０００円、医療費が交通費込みで１０，０００円、
洗剤などの生活必需品が１０，０００円として残りの６，０００円は水道・光熱費に
なります。
　最低生活は可能ですが、衣料品が買えませんし入院となるとその費用もないため
どうしても他からの援助が必要になります。

　借家住まいですと家賃も必要になる人もあるでしょう。
　家賃の安い公営住宅は、人口の高齢化でなかなか空きができませんし、
住宅事情も病気で働かれないとつらいものがあります。
　このようなことを思うと、妹の場合は住む家はありますし入院ともなると母の
残してくれた貯金でたちまちは補いがつき、彼女は幸せと思います。

　しかし私共が今心配なことは、これから先の妹の生活費の不足分をどうするか
にあります。

　夫と相談し、妹の水道光熱費は我が家で支払い、私共が妹の家を借りてるという
ことにし家賃分援助することにしました。およそ４〜５万円分援助しています。
　以前は私が働いていたので、私の月収からや姉たちのカンパから援助していました。
　私が仕事を辞めても、今もそうしています。
　その援助分の大半は障害年金をいただいていると生命保険がかけられないので、
彼女の老後の費用として個人年金として貯蓄することにしました。
　私は夫や夫の家族に申し訳ない気持ちがありますが、夫の家族も暖かく見ていて
くれるのでありがたいと思います。

　主婦に戻った私は、夫に少しでも負担をかけたくないので、母を見習って節約に
努めています。母の質素倹約ぶりにはとても叶いませんが・・・。
　新聞のチラシを見ては、東に洗剤が安いと聞けば出向き、西に食料品のバーゲン
と聞けばこちらも出向き、休日には夫にアッシーになってもらい大手スーパーで
まとめ買いをします。
　クリーニングも妹のものと一緒にだせば割引になりますし、スーパーやデパートや
ドラッグストアのポイントがたまると妹のものを購入します。
　ときどき商売元に踊らされている感じもしないでもありませんが・・σ（＾＿＾；）？。
　
　働いていた頃は、時間をお金で買ってると思って定価でも平気でした。
　しかし比較的時間のある専業主婦に戻りましたので、広告に半額！なんて書かれ
てあると、即反応しミニバイクでウロウロしています。
　ドタバタするのは仕事で慣れてますし、この節約は結構バカになりません。
　こうして浮いた小銭をためておくと、外食ができたり日帰り旅行の費用ができます。

　10円でも20円でもケチケチする私に妹もあきれていますが、こんな様子を見て妹は
浪費をしなくなりました。
　母の場合は浮いたものを生活費にさらにあてて、とにかく妹の将来のためにと
必死で彼女も窮屈でしたが、私は妹の楽しめることに当てることにしています。

　１ヶ月分の妹の生活費の障害年金から、必要な年間費用分を残して純粋な
生活費の約56,000円を、彼女に封筒に目的別に仕分けし使うようにさせています。
　買い物時も必要な金額だけ持参するようになりましたし、何よりも私達家族が
放って置くわけではないことが分ってきたので、少しずつ気持ちも落ち着いて
金銭面でパニックななることはほとんど無くなりました。

　♪よ〜く考えよう〜♪　お金はだいじだよ〜♪
　ですが、お金で妹の精神的なものまで締め付けないようには気をつけています。

　
　　　　　　　　　<strong>※　 年末年始と何かと気忙しいので、
　　　　　　　　　　 このブログはしばしお休みにします。
　　　　　　　　　　来年度からは妹と社会との接点のような
　　　　　　　　　　ことを書こうと思っています。
　　　　　　　　　　コメントは物好きな者ですから、あちこち
　　　　　　　　　　させていただくつもりです。では、また・・・。</strong>　]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>経済的なこと（５）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://melit.jp/voices/andon/2005/12/01/post.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://melit.sakura.ne.jp/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=10/entry_id=238" title="経済的なこと（５）" />
    <id>tag:melit.sakura.ne.jp,2005:/voices/andon//10.238</id>
    
    <published>2005-12-01T12:35:34Z</published>
    <updated>2006-01-30T14:35:46Z</updated>
    
    <summary>　今年の師走も本屋の店頭には来年のカレンダーや手帳とともに、 家計簿が種類も豊富...</summary>
    <author>
        <name>miuras</name>
        
    </author>
            <category term="生活" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://melit.jp/voices/andon/">
        <![CDATA[　今年の師走も本屋の店頭には来年のカレンダーや手帳とともに、
家計簿が種類も豊富で沢山並べられています。
　　　　　<img alt="senryou1s-11 kiriko sann.jpg" src="http://melit.jp/voices/andon/archives/senryou1s-11 kiriko sann.jpg" width="245" height="213" />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　<em>イラスト；Ｋｉｒｉｋｏさんより</em>]]>
        <![CDATA[　家計簿というものは、私は結婚してから付けるようになりました。
　もともと適当に過ごしていましたので、日記と同じで毎日はとてもではありませんが
続いたことがありません。
　それで我が家用のをレポート用紙を使って作り、コピーしてはクリアノートにはせて
必要なことだけ記入していました。
　５年前からはエクセルを少し教わりましたので、パソコンでカラフルに色付けして
家計簿として使っています。

　私が働いていた時は、妹の病気に関することの方が心配で、経済面は姉も働いて
いましたし、姉とと協力すればどうにか妹も生活できるだろうと安易に考えていました。
　しかし姉ふたりは早々と他界し、私も過労から心臓をやられました。
　私がＩＣＵ（集中治療室）にいる時に、妹は私の見舞いどころか彼女自身の生活費
の催促に一生懸命で、相手の立場を同時に考えられない彼女の脳の働きに、怒る
気力もありませんでした。
　そのことがあって私自身やりたいことがありましたが吹っ切れて、妹の面倒を
看ようと開き直りプラス思考に心掛けることにしました。

　妹の家計を管理するにはまず現状を彼女自身に知ってもらうことから始めました。
　それには彼女に家計簿を付けてもらうことにしました。
　市販の家計簿帳は印字がとても小さく、視力の弱い彼女には、見るだけでも嫌に
なりそうﾅすのでパソコンで私が作ることにしました。
　彼女は単純な繰り返しの作業は、例えば洗濯物をたたむこととか物の小分けとか
きぬさやのスジをとる・・・などはかなり辛抱強くできますが、考えながら適当に記入
することが続きません。
　それで買い物後のレシートをノートに貼らせ、日付とその日の合計と残高だけを
電卓で計算させ記入させました。
　そのうちに、買い物の少ない日は自分でレシートを見ながら記入するようになり
ました。
　これで食費と日常生活の必要物品の費用が分ります。
　後の光熱費とか交際費は私が別の用紙にメモしました。

　３ヶ月もするとおよその妹の家計の流れがつかめたので、次に母が彼女に残して
くれた通帳などをチェックし、75歳までの大まかなライフプランを図表にしました。

          <a href="http://melit.jp/voices/andon/archives/Life Plan.xls 2.xls">Download file</a>


　妹はこの図表をみて人生って短いんだと言ってたので、悲観的になるのかと心配
でしたが大丈夫でした。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　次回につづく

　]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>経済的なこと（４）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://melit.jp/voices/andon/2005/11/23/post.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://melit.sakura.ne.jp/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=10/entry_id=237" title="経済的なこと（４）" />
    <id>tag:melit.sakura.ne.jp,2005:/voices/andon//10.237</id>
    
    <published>2005-11-23T06:38:50Z</published>
    <updated>2006-01-30T14:35:46Z</updated>
    
    <summary>　日常生活で精神障害を抱えてる者が金銭面でつまづくことは病気の次に心配なことで、...</summary>
    <author>
        <name>miuras</name>
        
    </author>
            <category term="生活" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://melit.jp/voices/andon/">
        <![CDATA[　日常生活で精神障害を抱えてる者が金銭面でつまづくことは病気の次に心配なことで、家族間がギクシャクしトラブルの原因にもよくなります。
　私共の経済面を書き込むことは妹に申し訳ないと思いますが、私が妹の納得する金銭の管理を任してくれることで彼女が落ち着いた生活ができているので、その経過が何かの参考になればと思います。
　病気と一緒で、経済面も正面から向き合うことは患者の家族として大切なことと思います。
　　
　　<img alt="ichigo03032901 Salon.gif" src="http://melit.jp/voices/andon/archives/ichigo03032901 Salon.gif" width="298" height="59" />
　　　　　　　　]]>
        　前回の続きです。
　母の元で過保護で暮らしていた妹は、母の言われる通り家計簿に数字を記入していただけで、物に対するお金の価値観とか、どれ位の予算で生活できるのか、将来を見越しながらどれくらい切り詰めればいいかとか・・・考えることはしなかったようでした。たぶん母は家計簿を一緒に付ければ、自然に理解するものと思っていたのでしょう。
　母が亡くなって制限する者がいなくなり、物の購入の仕方は彼女は良く知っているので、お金は手元にあればあるだけ使ってしまうようになりました。
　障害年金も振り込まれると全額おろし、いつも必要以上のお金を持って買い物に出かけるので、衝動買いが増え、生活費の不足分を母の残した貯金を端から下ろしていました。
　
　妹は母が亡くなり制限のある過保護から開放されたのですが、母の言う通り動いていた生活でしたので、日々の自分の生活は行き当たりばったりで、誰かに言われないと動かなくなり、昼夜が逆転したりし、欲求不満を満たすため一時的に買い物依存のようになりました。
　
　彼女の部屋に行くたびに電化製品が買い換えられ、新しいものが増えてたので分りました。
　その頃は私は勤めてましたので、浪費を注意しても阻止はできませんでした。母は電化製品もかなり古い機種のを丁寧に使ってましたので買い換えたいのだろうと思い、妹自身のお金ですししばらく様子をみることにしました。
　ところが洋服やアクセサリーも増えているので気になって尋ねると、デパートで購入したもののローンを組んでいたのには、驚いてしまいました。
　母は自分の外出着は祖母の着物を着て過ごし、洋服でも祖母の着物をリフォームし、父のカッターシャツのすれた衿を切り落としてブラウスにし、下着も補修して使ってましたので、高価なものは一切買いませんでした。必要な場合は、買える金額まで貯めて購入する人でした。
　妹にそのような母のやり方を知ってるはずだと言うと、店員さんにうまく勧められたそうで断る勇気がなかったそうです。
　大きな買い物はいつも母がしていましたので、世間を知らない妹の感覚はかなり常識からずれてました。

　夫は自分の財産が底をついたら分るだろう・・・放っておけば・・・と言いましたが、お金は天下の回り物ではありますが、降ったり湧いたりするものでないので、彼女の母から譲り受けた貯金をすべて調べ、彼女の家計をチェックすることにしました。
　それで妹が購入したものをリストにすると、誰かが盗んだのではなく自分で使い込んでることが分りました。
　それから彼女が納得しながら生活費の管理をするにはどうすれば良いか、色々と考えました。　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　次回に続く

　　　　　　イラスト；インターネット無料サイトより
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>妹との対応のしかた</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://melit.jp/voices/andon/2005/11/18/post.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://melit.sakura.ne.jp/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=10/entry_id=236" title="妹との対応のしかた" />
    <id>tag:melit.sakura.ne.jp,2005:/voices/andon//10.236</id>
    
    <published>2005-11-18T00:06:52Z</published>
    <updated>2006-01-30T14:35:46Z</updated>
    
    <summary>　経済的なことばかり書き込むと、お札の夢ばかり見そうなので、小休憩。 　いままで...</summary>
    <author>
        <name>miuras</name>
        
    </author>
            <category term="病気" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://melit.jp/voices/andon/">
        <![CDATA[　経済的なことばかり書き込むと、お札の夢ばかり見そうなので、小休憩。

　いままで病気になってしまった妹と接する内に、これだけは頭の隅に置いていようと
思うことがあります。
　　　　　　　<img alt="bl-line02 Tyoco .jpg" src="http://melit.jp/voices/andon/archives/bl-line02 Tyoco .jpg" width="200" height="100" />
　　　　　　　　<em>イラスト；Tyoco さんより</em>]]>
        <![CDATA[　妹の脳は、脳神経がどのようなシナップス（神経細胞の接続部）を経てどう繋がっている
のか、普通に考えられないことを急に言い始めたりするので、とても不思議で開いた口が
ふさがらないことがあります。
　その内容は多くが悲観的なことなので　（たぶん発病前後に悲観的なことが多かった
のではないかと私は思います）　対応にいつも苦慮してしまいます。

　
　次の五つは私が妹と接する上で気をつけていることです。

　［　<strong>治療の継続の確認</strong>　］
　　やはり彼女の脳の先天的なものと後天的なもののダメージは、気合や心持ちだけ
の回復は絶対不可能で、専門医とのつながりは一番大切です。
　　両親、親戚、知人が薬漬けになるからと、素人の考えで薬物療法を批判したりし、
本人も動揺しとても困りました。薬物療法をきちんと続けていれば、妹の場合はもっと
社会との接点ができ簡単な仕事ができてた可能性もありました。
　いつも付き添うということでなく、根本的に妹がきちんと治療を続けているか知っておく
ことと担当医の様子を妹の話などから知っておくことにしています。

　［<strong>　傾聴</strong>　］
　　この言葉は、新聞の記事で知りました。老人ホームなどの高齢者を介護をする
人向けに記事にされてたのですが、妹の場合にもあてはまり参考にしています。
　　　
　　　・　相手の気持ちに寄り添って、ひたすら聞く
　　　・　こちらの共感や感心を示す（相手の言葉の反復や問いかけで話を盛り上げる）
　　　・　忠告や議論はしない（自分の経験から憶測しない）
　　　・　相手の表情、態度からメッセージを読み取る
　　　・　沈黙のときは、相手が思いを巡らせていることもあり、無理に何かを言わない

　　これらを基本にして、辛抱強く耳を傾けるとかなり本人は安心します。

　［　<strong>誉める　</strong>］
　　　私が仕事を辞め専業主婦に戻って、主婦業という仕事を続けるに当たって、
　　だれもいいとも良くないとも家族の反応が鈍くて、食材を準備し一生懸命調理して
　　今日はいけるぞ〜と思っても当たり前のように食べて、いつもの満腹の表情だけで
　　ガックリきます。
　　「おいしかった」だけでいいのにな、誉めてほしいですね。
　　　以前の私の仕事がかなり対人関係に刺激的だったので、テンションの低い
　　主婦業を続けるには腐されるより誉め言葉が最大のプレゼントと思います。
　　　これと同様に、自宅療養の妹にも生きる刺激にそのような「誉めること」はとても
　　大切と思います。
　　　人に頼りきりでいる妹を見ると、なかなか見つけにくいのですが、
　　「誉めること」はいつも私の頭の隅に置いているつもりです。

　［　<strong>適当な距離を置く</strong>　］
　　　これに関しては、私達も協力しましたが、両親がトイレ・台所・浴室を別にし
　　二世帯住宅にしてくれたことは本当に感謝しています。
　　　妹の生活のリズムは、病気に大いに関係があって、薬を服用しても脳が敏感に
　　活動すると寝ないこともありまし、急に入浴したり、食事を取らないこともあります。
　　　以前私達家族と食事を一緒にしていたとき、妹が息子達のことに口を挟むことが
　　あって（ひとつのことを考えると、彼女は相手方全般のことが見えない）　
　　穏やかな夫が黙り込むことがありＴＶ.を見るふりをしてくれたりするのに申し訳なく
　　て、夫が疲れているからと言って別にすることにしました。
　　それとサイフが別であることと、彼女は料理することは日常生活の中で唯一
　　積極的にすることで、取り上げると何も自分から行動することが無くなること
　　からでした。
　　　もちろん、盆や正月や記念日などは一緒に食事や外食をしたりしています。
　　　献立によっては彼女の分を多めに作り食べてもらいます。

　　　彼女はときどきうつ状態になることがあってそのときは静かに休ませたいですし、
　　私も疲れている時は話を聞いても余計沈みがちになるので、そのときは距離を
　　置くことにしています。

　　妹が落ち着いてるときには、私は私達家族のことを最優先にしています。
　　ですから妹を置いて外出することも距離を置く意味で必要なことと思っています。
　　彼女が調子が良くないときは、彼女のことを最優先にしています。
　　
　　よく親戚とか彼女の友達が、彼女一人を置いて出かけるなんて・・・と耳に入ることが
　　ありますが、彼女は全く動けない病人ではありませんし、きちんと治療を受けていれば
　　ごく普通です。
　　　私達が気持ちに余裕が出来てゆったりと彼女と接することができるのも、この距離の
　　持ち方にあります。

　［　<strong>気分転換　</strong>］
　　私は妹とよくショッピングや日帰り旅行に行きます。
　　たまに我が家から離れ他の世界をみることは彼女にはとてもいい刺激になって
　います。展望のいいところから家々をながめていると、ひとつひとつの家にそれぞれの
　ドラマがあって皆どうにか生き続けていることが、何かしら私にも彼女にも深呼吸をして
　新しい空気を取り入れられ、リフレッシュできるのです。
　　音楽を聴くこともそうです。彼女は幼いとき、不自由な指の運動にとバイオリンを習って
　ましたので音楽には興味があるからです。
　　演奏会とかは対人関係に緊張するので、たまにですが出かけます。
　　好きなＣＤなどを聴く様に勧めると、気分転換になることがあります。


　　以上、私が普段思っていることを書き込んでみました。
　　　　　　]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>経済的なこと（３）</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://melit.sakura.ne.jp/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=10/entry_id=235" title="経済的なこと（３）" />
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    <published>2005-11-14T02:56:36Z</published>
    <updated>2006-01-30T14:35:46Z</updated>
    
    <summary>　妹がこれから精神疾患を抱えて生きていく上で、働けないので金銭のことはとても重要...</summary>
    <author>
        <name>miuras</name>
        
    </author>
            <category term="生活" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://melit.jp/voices/andon/">
        <![CDATA[　妹がこれから精神疾患を抱えて生きていく上で、働けないので金銭のことはとても重要になります。
　
　私の父は普通の中小企業のサラリーマンで、母は専業主婦でした。
　父は三男で戦争の影響もありゼロからのスタートでしたし、母は父親が医者をしていましたが早くに亡くなり、実家の土地を売り祖母を引き取りその生活費に当てましたので財産といえるものはほとんどありませんでした。
　　　　　　　<img alt="coffchato goya .gif" src="http://melit.jp/voices/andon/archives/coffchato goya .gif" width="214" height="117" />
　　　　　　　　　　<em>イラスト　；　鳩小屋さんより</em>


　　]]>
        <![CDATA[　それでも両親は娘ばかりなので、会社の社宅に住み込みながら何かの時にと娘が困らないように帰れる家を頑張って建ててくれました。
　丁度高度経済成長期にのって、ローンを組んでも終わる頃には家計にさほど負担がかからなくなっていました。しかし娘ばかりは嫁がせるのに大変で二人嫁がせるのがやっとで、すぐ上の姉と私の結婚は自分達で賄いました。
　両親の質素倹約ぶりは、今の私にはとても真似ができません。
　
　両親は妹の病気が分ってから彼女の将来を思い、私達姉は公証役場を通して母の遺言とともに財産放棄をしました。彼女には元々軽い身体障害と精神障害があることから、同居の私が後見人になっています。

　母は生前、妹には家計簿をつけさせていたからお金の使い方は教えてあるからと言ってましたので、私は当分金銭面は妹自身に任せていました。
　母が亡くなって２年ほど経った頃、生活費が足らないと言い始め、母が節約して溜めた貯金が半分以上無くなっていました。

　結局数字に弱く、統合失調症の特徴として多くのことを一度に考えられないので、お金の管理が彼女にとても負担であることを知りました。
　一時は、自分が使ってしまったのに、数字として記録してないので、私達が盗んだのではないかと思い始めたこともありました。
　母が亡くなったときに最初から私達が金銭面のことは管理すればよかったのでしょうが、妹の自尊心に関わっているので、とても難しいことでした。

　その後妹と今後のことを話をして、母の遺言の後見人になってることが助けとなって、私が金銭面を管理することを妹に承諾させることができました。

   
　<strong> ［注］</strong>　　　　　ここに記している内容は私の妹のことで、
　　　　　　　　　　　統合失調症一般のかたとは異なります。
　　　　　　　　　　　妹は先天的なものもあり、過保護で
　　　　　　　　　　　育てられている上に、計算がとても苦手です。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　次に続く
　　　
　　]]>
    </content>
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    <title>経済的なこと（２）</title>
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    <id>tag:melit.sakura.ne.jp,2005:/voices/andon//10.234</id>
    
    <published>2005-11-08T09:26:39Z</published>
    <updated>2006-01-30T14:35:46Z</updated>
    
    <summary>　精神疾患で病院や診療所に通院するときに掛かった医療費の自己負担分を公費で負担す...</summary>
    <author>
        <name>miuras</name>
        
    </author>
            <category term="生活" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://melit.jp/voices/andon/">
        <![CDATA[　精神疾患で病院や診療所に通院するときに掛かった医療費の自己負担分を公費で負担する補助制度があります。
　これは精神保健及び精神障害者福祉に関する法律の32条によるもので［精神障害者通院医療費公費負担制度］といいます。
　　　　　　<img alt="budou Salon de Ruby.jpg" src="http://melit.jp/voices/andon/archives/budou Salon de Ruby.jpg" width="130" height="177" />
　　　　　　<em>イラスト；Salon de Ruby さんより</em>]]>
        <![CDATA[　［医療費の負担額］
　　　　　精神科で掛かった医療費の９５％が医療保険と公費でまかなわれ、５％が自己負担と
　　　　　なります。薬代の一部負担金やデイケア、訪問看護も対象になります。
　
　［申請手続き］
　　　　　精神科医師の診断書と申請書を添えて最寄の保健所に申請します。
　　　　　基本的に有効期限は2年間で、２年ごとに現況届けを出しています。
　　　　　精神障害者保健福祉手帳の申請も同時にできます。

　　　　　　<strong>（注）</strong>　上記は通院治療にのみで、入院医療費には原則的には
　　　　　　　　　　適用されません。
　　　　　　　　　　入院費用は高額医療費払い戻しや貸付がありますが、
　　　　　　　　　　食事や部屋代は適用外です。　　　　　　　　　

 
 *****************************************************************************
　
　上記の申請手続きで交付された手帳には、私の市では下記の特典があります。これは地方自治体によって多少異なるそうです。

　［我が市の精神障害者保健福祉手帳制度の優遇措置］

　１．　税に関して
　　　　　・　所得税及び住民税の障害者控除（本人、配偶者、扶養家族）
　　　　　・　預貯金の利子所得の非課税
　　　　　・　相続税の障害者控除、贈与税の一部非課税
　　　　　・　自動車税、軽自動車税及び自動車取得税の減免
　　　　　（障害の等級により、受けられないサービスも」あります）

　２．　生活保護の障害者加算
　　　　　精神障害者保健福祉手帳の１級又は2級の場合においては、生活保護の障害者加算の
　　　　　認定が受けられます。

　３．　県立施設（文化・スポーツ・レクリエーション）の使用料の減免

　４．　通院医療費の公費負担
　　　　　手帳の有効期間中は精神障害者の通院医療費公費負担の申請時の診断書の添付が
　　　　　免除される。

　５．　老人医療の障害認定
　　　　　年齢が65歳以上70歳未満で１級又は２級の精神障害者保健福祉手帳を所持している
　　　　　場合、市町村役場で申請することにより老人医療の受給者となります。

　６．　県内路線バス、鉄道、軌道（ＪＲを除く）の運賃割引
　　　　　手帳を掲示することにより運賃割引が受けられる。
　　　　　県内のみで、等級によって割引の内容が異なります。

 ********************************************************************************

   9月1日に妹が子宮全摘出術を受けたときには、検査及び検査入院も含めおよそ全部で４５万円かかりました。食事・部屋代・寝衣代は別で、彼女の場合は国民健康保険で３割負担でこの額になります。
　
　彼女は低所得者（住民非課税世帯）なので、高額療養費払い戻しの手続きをすると、負担額は35,400円と食事代と部屋代で済み、後の残りは２ヵ月後に手続きした自分の口座に振り込まれます。
　
　もう一つの方法に高額療養費の貸付があり、手続きをすると患者さんは35,400円の負担額と食事代を支払うだけで、市町村から社会福祉協議会を通して病院へ支払いが行われます。
　
　これらは１ヶ月間の負担が、患者負担額を超えた場合で、妹は８月と９月分とが対象になりました。

　注意すべきことに年金の受給手続きと一緒で、わざわざ手続きをしてくれるものではなくて自分から忘れないように申請しなくては戻ってきません。

　彼女の多少の蓄えで今回はどうにか支払えましたが、療養費以外の身の回りの必要物品の費用もあり、精神障害者の保健福祉手帳をいただくと一般の保険に加入できず、病気になったときは国民健康保険だけですので、精神科以外の病気が続くと生活が苦しくなります。
　これから老人保険になる６５歳まで、彼女の家計のやりくりをどうするか・・・、同居している家族とはいえ嫁いでいる私には頭の痛いことです。

　　　　　　
　　　　　　　　参考資料及び文献　；　統合失調症　春日　武彦著　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　次に続く]]>
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