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2006年02月11日 「不安の力」を読んで(7) |
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同じタイトルのエントリーがもう7回目になりました。
妹の病気のことに関して、家族としてどうあるべきか・・・、
彼女の幸せとはどんなことだろうか・・・と書き込んで
みようと思いつつ、この本を手にしたことでかなり
寄り道をしています。

イラスト;ペケポンさんより
よく私の友人に聞かれることに、よくそこまで身内のケアが
できるのはどうしてか・・・ということがあります。
義父が寝たきりで義母も倒れたときに、病院を嫌う義父の
気持ちを重んじて義父母宅に一日おきに義姉と泊まり込んだ
とき、川の字になって義父と義母の間に寝ていたことが
ありました。看護師の友人でも自分にはできないと言ってました。
なぜって言われて深くは考えませんでしたが、先に旅立った
私の大好きな父がどこかで見ているような気がしたことがあって、
自分の父親のつもりで看ているのよっと答えたことがあります。
妹の場合はというと、やはり先に旅立った母や姉達がきっと
心配しているから・・・という気持ちが心の奥のほうにある気が
します。
以前看護師をしていて、明らかに死を意識して残された時間を
一分一秒を大切にする御家族に接していると、必ず思い出話で
家族みなが同じ思いを共有している場面によく出合いました。
生き方も死に方も御一人御一人違っているのに、死ぬ前に
共有できる思い出の世界があるということは、死の不安を
自然に落ち着かせているように見えました。
これは家族に限らず、知人友人でも同じ体験をして共有の
時間を過ごしている場合、家族と同じような気持ちになれると
思います。
そのように人間は自然に不安を軽くする術を、心の奥に
いつも持ち合わせている気がします。
五木氏は「百寺巡礼」のガイド版の著書があり、各地の寺を
巡るTV番組にも出演されてたのを数回拝見したことがあります。
ですから、この本には仏教に関する難しい言葉も使われてる
箇所があり、仏の教えが五木氏のこの著書の根源にあるのかも
しれません。
宗教はブレーキだと述べられながら、読んでいてどこかしら心を
束縛しないでものごとをプラスに考えようとされてるように
感じました。
『こころのやさしい人ほど、柔軟な人ほど、あるいは素直な人ほど、
自然に不安を抱えている。その不安をどうしようもなく持て余している。
そんな時代なのです。
とすれば、不安であるということは、その人がまだ人間的である、と
いうことでしょう。』
『・・・不安はなにかの便りを運んでくる大事なメッセージだからです。
それは、あなたの心身はもう限界だよ、これ以上無理な仕事はしない
ほうがいいよ、というこころと体からの忠告かもしれません。』
『不安には<不安定>という意味もあります。そう考えたとき、不安は
ものが転がっていくために必要な力である、といえるのではないでしょうか。』
私はいつも妹が不安な表情をしたりパニックになったりしていたとき、
重く深刻にとらえ過ぎていました。
「不安は力」だ、人間らしいのだ、不安は希望の土台であり、
そう感じるときが再出発点だと、五木氏の述べられてる通りに、
私は考え直してみることにしました。
以上五木寛之著の「不安の力」の感想でした。
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投稿者 miuras : 2006年02月11日 16:25
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