MELIT:患者のための医療情報リテラシー
ヘルプ サイトマップ 縮小 拡大
みんなの声
melit.jp since 2005
・行灯さん
(統合失調症(家族))

wwwを検索 melit.jpを検索
ご意見をお聞かせ下さい
MELIT:患者のための医療情報リテラシー
  > ホーム > みんなの声 > 行灯さん(統合失調症(家族)) > 「不安の力」を読んで(4)

« 「不安の力」を読んで(3) | トップ | 「不安の力」を読んで(5) »

2006年01月28日 「不安の力」を読んで(4)

 昔看護師をしていた頃、入院された患者さんには
できるだけ安心して過ごしていただくためには悲しい
ことや嘆かわしいこと心痛になりそうなことは
避けなければならないと思っていました。
        056548 aya's Room.gif
   イラスト;aya's Roomさんより 

 五木氏は“「こころの戦争」に傷ついてしまう不安”のところでは
次のように書かれています。
『・・・・・。悲しむのも泣くのも人間らしい自然の反応です。
そして腹の底から笑うということと、こころの底から泣くという
ことは、車の車輪のようにどちらも大事なことです。
 悲しみや嘆きや絶望を知っている人だけが、本当の意味
で喜びや希望を自分の手につかむことができる。』

 
 泣くときにきちんと泣けることは、こころから笑えることと
バランスをとっていることが大切と氏は言われます。
 
 看護していて一緒に笑うことはあっても、一緒に泣くことは
めったにありませんでしたし、私にはできませんでした。
 つらいことや悲しいことが毎日のことでしたし、それを知った
ところで気が滅入るばかりかこんな若輩ものには何もしてあげる
ことができないと思っていたからです。
 しかし私の上司に、統率力抜群でちょっと恐い看護師長がいましたが、
その方はおもしろいだけでなく、患者さんの悲しみ嘆きをその家族と
ともに涙できる人でした。
 患者さんのこころのバランスをうまく導いていらしたように思います。

 患者さんを妹に置き換えてみますと、私には妹を喜ばすことはあっても、
一緒に涙することは全くできないのです。
 それは妹自身が悲しみや嘆きよりも、幻聴や対人関係での緊張感
などの精神の症状に悩まされることが多くて、その疲れから無表情
で無意識になってしまうからです。ここらに精神疾患を持っていない人との
違いがあるように思います。
 妹がつらいとき号泣でもすれば、重たい気持ちが吐き出せるのではと
最初私は思ったことがあるのですが、つらさの感覚というか度合いが
少し異なっていて、人が悲しむ場面でもそこまで気持ちが向かない様子
になり、無表情というか視点が彼女だけの世界に向いてる状態に
よくなります。
 妹の場合はやはり病気のせいか不安のありかたが違うと思いました。

 次に五木氏は、雪のつもった枝にたとえて
 『人間は誰でも、ああ、もう生きているのはいやだ、というふうに
無気力感を覚えることもあります。これを「こころの萎えた(なえた)
状態」ともいいます。「萎える(なえる)は・・・・・ぐにゃっと曲がることを
いいます。・・・・・・・・・・・・・
 人間も一日のうちで、一生のうちで「こころ萎えた状態」を
くり返し持つのです。』

 『いまの時代は、その降り積もってくる風雪の重みが、耐えがたいほどに
なっている時代です。それだけ人びとがストレスを感じている<大変な時代>
なのです。それをすべて背負って抱え込んだままでがんばっていると、
いつか必ず折れてしまうのではないか。
 ・・・・・・・生きていることでため息をつかざるをえない人たち。そういう人
たちは、まさに<こころが萎えた状態>を感じている。それはこころがしなって
いることであり、また、しなやかな生命力が残っていることだ、と考えて
ほしいと思います。曲がること、萎えること、そしてしなやかにしなうこと
もまた大きな力なのだ、と。』

 
 妹をみてると、若いころから生きることに不器用というか、萎えるとそのまま
しぼんでしまったり、真面目過ぎて途中でポキッと折れたりと適当でいい加減
のようなしなやかさが少ないほうでした。
 いまでも彼女はあいまいさがとても苦手で、考え方が真面目です。
  そばにいる家族が妹以上に真面目ですと、もっと深刻な状態になる可能性
ありかも・・・。
 私がかなりいい加減なので丁度いいかもしれません。

投稿者 miuras : 2006年01月28日 09:28
トラックバック
この記事のトラックバックURL: http://melit.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/243
コメント

 優子さま、TBありがとうございます。
 
“生きること”は、詩人の金子みすゞさんではないけれどみんな違ってみんないい…。
 何もできなくて世の流れに身を任せ、ただただ漂って寿命を全うするとしても、それもいい…と思うことが最近多いので年取っちゃったかなと感じています。
 でもなぜか生きることにあきらめてはいない自分があります。
 これは自然(神のようなもの)に生かせてもらっているからと思ったりします。
 アリガタヤ!っと空(くう)に向かって感謝してます。
 もしかしてあの世に近いのかな(;^_^A

投稿者 行灯さん : 2006年01月30日 10:11

追伸;
 TBの優子さまの“元気をいただく”って言う言葉は私はよく使います。私は好きなほうなのですが、いまにも沈みそうな人たちを対象にしては使ってはならない言葉であることは分かります。
 妹の場合は知り合いからそう言われたとき、「私でも元気を与えることできるんだ」と喜びます。
 妹と母の口癖が似ていて、事あるごとに「御迷惑かけてすみません」とか「すみません」と言うことが多すぎるので、身体が動きにくいのは迷惑かけてるのではないので堂々としなさいな…、迷惑をかけるのでなくて助けて応援していただくのだから「すみません」より「ありがとう」言う言葉をふやしなさいよ…と言います。
 彼女は外に出ると緊張し小さく卑屈気味になる面は、過保護で内々で育ったせいもあってなかなか楽にはなれないようです。それでも同じような病気の人に外来で会ったとき、妹のほうから話しかけることがあって、妹に会うと元気が出ると言う人がありました。互いに励みになっているようです。

投稿者 行灯さん : 2006年02月01日 14:08

« 「不安の力」を読んで(3) | トップ | 「不安の力」を読んで(5) »

ホーム サイトマップ 掲載メディア お問合せ ヘルプ ご支援のお願い
ログイン melit.jp 2005 All Rights Reserved ご利用上の注意 このサイトの理念 リンク・著作権 制作協力